アルゼンチン リーガ・プロフェシオナル | 07/26 23:15 | 2 | [19] アルヘンティノス・ジュニオルス v ニューウェルズ [8] | W | 1-0 | |
コパ・リベルタドーレス予選 | 07/22 00:30 | 4 | [1] アルヘンティノス・ジュニオルス v リーベルプレート [2] | L | 0-2 | |
アルゼンチン リーガ・プロフェシオナル | 07/18 23:15 | 1 | [17] CAインディペンデント v アルヘンティノス・ジュニオルス [14] | D | 0-0 | |
コパ・リベルタドーレス予選 | 07/15 00:30 | 4 | [2] リーベルプレート v アルヘンティノス・ジュニオルス [1] | D | 1-1 | |
コパ・リベルタドーレス | 05/27 02:00 | 6 | [4] ナシオナル・モンテビデオ v アルヘンティノス・ジュニオルス [1] | L | 2-0 | |
コパ・リベルタドーレス | 05/20 22:00 | 5 | [1] アルヘンティノス・ジュニオルス v アトレティコ・ナシオナル・メデリン [3] | W | 1-0 | |
コパ・リベルタドーレス | 05/12 22:00 | 4 | [1] アルヘンティノス・ジュニオルス v カトリカ大学 [3] | L | 0-1 | |
アルゼンチン コパ・デ・ラ・リーガ・プロフェシオナル | 05/09 15:10 | 13 | [8] アルヘンティノス・ジュニオルス v エストゥディアンテスLP [2] | W | 2-0 | |
コパ・リベルタドーレス | 05/06 22:00 | 3 | [2] アトレティコ・ナシオナル・メデリン v アルヘンティノス・ジュニオルス [1] | W | 0-2 | |
アルゼンチン コパ・デ・ラ・リーガ・プロフェシオナル | 05/02 21:40 | 12 | [11] CAアルドシヴィ v アルヘンティノス・ジュニオルス [9] | W | 1-3 | |
コパ・リベルタドーレス | 04/29 22:00 | 2 | [4] カトリカ大学 v アルヘンティノス・ジュニオルス [2] | W | 0-2 | |
アルゼンチン コパ・デ・ラ・リーガ・プロフェシオナル | 04/24 18:45 | 11 | [10] アルヘンティノス・ジュニオルス v バンフィエルド [8] | D | 1-1 | |
コパ・リベルタドーレス | 04/20 22:15 | 1 | アルヘンティノス・ジュニオルス v ナシオナル・モンテビデオ | W | 2-0 | |
アルゼンチン コパ・デ・ラ・リーガ・プロフェシオナル | 04/17 18:45 | 10 | [6] サンロレンソ v アルヘンティノス・ジュニオルス [9] | D | 1-1 | |
アルゼンチン コパ・デ・ラ・リーガ・プロフェシオナル | 04/11 17:00 | 9 | [9] アルヘンティノス・ジュニオルス v セントラルコルドバSdE [7] | D | 0-0 | |
アルゼンチン コパ・デ・ラ・リーガ・プロフェシオナル | 04/04 19:15 | 8 | [1] コロン v アルヘンティノス・ジュニオルス [8] | D | 0-0 | |
アルゼンチン コパ・デ・ラ・リーガ・プロフェシオナル | 03/27 21:30 | 7 | [10] アルヘンティノス・ジュニオルス v アルセナル・デ・サランディ [13] | W | 3-2 | |
アルゼンチン コパ・デ・ラ・リーガ・プロフェシオナル | 03/23 00:15 | 6 | [6] ラシン・クラブ v アルヘンティノス・ジュニオルス [10] | L | 1-0 | |
アルゼンチンカップ | 03/17 20:15 | 5 | コロン v アルヘンティノス・ジュニオルス | W | 0-1 | |
アルゼンチン コパ・デ・ラ・リーガ・プロフェシオナル | 03/13 22:20 | 5 | [12] アルヘンティノス・ジュニオルス v ゴドイクルス [5] | W | 2-0 | |
アルゼンチン コパ・デ・ラ・リーガ・プロフェシオナル | 03/09 00:30 | 4 | [6] リーベルプレート v アルヘンティノス・ジュニオルス [12] | W | 0-1 | |
アルゼンチン コパ・デ・ラ・リーガ・プロフェシオナル | 02/27 00:30 | 3 | [12] アルヘンティノス・ジュニオルス v ベレス・サルスフィエルド [1] | L | 0-2 | |
アルゼンチン コパ・デ・ラ・リーガ・プロフェシオナル | 02/21 20:10 | 2 | アルヘンティノス・ジュニオルス v CAプラテンセ | L | 0-1 | |
アルゼンチン コパ・デ・ラ・リーガ・プロフェシオナル | 02/15 22:15 | 1 | [6] ロサリオセントラル v アルヘンティノス・ジュニオルス [6] | L | 2-1 | |
アルゼンチン コパ・デ・ラ・リーガ・プロフェシオナル | 01/10 00:30 | 5 | [3] アルヘンティノス・ジュニオルス v ボカジュニアーズ [1] | D | 2-2 | |
アルゼンチン コパ・デ・ラ・リーガ・プロフェシオナル | 01/05 22:20 | 4 | [6] ウラカン v アルヘンティノス・ジュニオルス [4] | W | 0-1 | |
アルゼンチン コパ・デ・ラ・リーガ・プロフェシオナル | 12/28 22:20 | 3 | [3] アルヘンティノス・ジュニオルス v CAインディペンデント [6] | L | 0-2 | |
アルゼンチン コパ・デ・ラ・リーガ・プロフェシオナル | 12/19 00:10 | 2 | [3] アルセナル・デ・サランディ v アルヘンティノス・ジュニオルス [2] | W | 0-1 | |
アルゼンチン コパ・デ・ラ・リーガ・プロフェシオナル | 12/13 22:20 | 1 | [3] リーベルプレート v アルヘンティノス・ジュニオルス [3] | D | 1-1 | |
アルゼンチン コパ・デ・ラ・リーガ・プロフェシオナル | 12/07 22:10 | 6 | [2] アルヘンティノス・ジュニオルス v エストゥディアンテスLP [4] | W | 1-0 |
アソシアシオン・アトレティカ・アルヘンティノス・ジュニアーズ(スペイン語: Asociación Atlética Argentinos Juniors)は、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスのラ・パテルナル地区を本拠地とするサッカークラブである。
1970年代にディエゴ・マラドーナなどが、1980年代にクラウディオ・ボルギやフェルナンド・レドンドなどがアルヘンティノスからプロデビューし、やがてビッグクラブへと羽ばたいていった。また、フアン・ロマン・リケルメやエステバン・カンビアッソも、アルヘンティノスの下部組織でプレーした経験がある。1985年にはコパ・リベルタドーレスで優勝してインターコンチネンタルカップに出場した。
アルヘンティノスの起源は1886年まで遡る。アメリカに端を発する社会主義的着想によって、数千マイル離れたアルゼンチンにロス・マルティレス・デ・チカゴと呼ばれるクラブが設立された。その18年後、ロス・マルティレス・デ・チカゴはソル・デ・ビクトリアと合併してアソシアシオン・アトレティカ・イ・フトゥボリスティカ・アルヘンティノス・ウニードス・デ・ビジャ・クレスポが誕生したが、この長大なクラブ名はクラブエンブレム決定の際に問題となり、アソシアシオン・アトレティカ・アルヘンティノス・ジュニアーズ (Asociacion Atletica Argentinos Juniors) に短縮された。それまでの緑色と白色のユニフォームは、社会主義のシンボルカラーに起因する赤色と黒色のストライプに変更された。1921年にプリメーラ・ディビシオンに初昇格し、トップリーグで16シーズンプレー。しかし1930年代半ばにクラブ存続の危機に陥ると、スタジアムからの立ち退きを命じられ、クラブ会員はかろうじて100人を超える程度まで減少した。
1950年代に指揮を執ったフランシスコ・ファンディーノ監督が目指したスタイリッシュなパスサッカーは、El Tifón de Boyacá(ボジャカの台風)として知られた。アルヘンティノスは名声を手に入れ、ディエゴ・マラドーナなどの若手有望選手を惹きつけた。1976年には15歳のマラドーナがトップチームデビューし、1980年にはリーグ戦で準優勝。マラドーナは4シーズン連続でリーグ得点王に輝いたが、不思議なことに、アルヘンティノスに黄金期が訪れたのは彼のボカ・ジュニアーズ移籍後であった。ロベルト・サポリティ監督に率いられたメトロポリターナ1984ではプロ化後初のリーグ優勝を飾り、クラウディオ・ボルギ、セルヒオ・バティスタ、ペドロ・パスクッリなどがマラドーナらとともに2年後の1986 FIFAワールドカップ優勝メンバーとなった。ホセ・ジュディカ監督が率いたナシオナル1985ではクラブ2度目のリーグ優勝を果たし、同年のコパ・リベルタドーレスでは決勝でアメリカ・デ・カリ(コロンビア)を破って初優勝した。インターコンチネンタルカップではミシェル・プラティニ擁するユヴェントスFC(イタリア)と対戦したが、PK戦の末に敗れて準優勝に終わった。
1988年11月20日のラシン・クラブ戦はPK戦にもつれ込んだが、このPK戦でのキッカーの人数は世界記録となった。両クラブ合わせて44人がPKを蹴り、アルヘンティノスが20-19でPK戦に勝利した。
1990年代には再び財政問題に直面し、1996年にはプリメーラB・ナシオナル(2部)降格。フアン・ロマン・リケルメやエステバン・カンビアッソなど若手有望株の売却を余儀なくされた。彼らはアルヘンティノスの下部組織でプレーしていたが、リケルメはボカ・ジュニアーズの下部組織に移った後にボカからデビューし、カンビアッソはレアル・マドリードと契約した後にローン先のCAインデペンディエンテからトップリーグデビューした。再びプリメーラ・ディビシオンに昇格するものの、2002年にもプリメーラB・ナシオナルに降格して2004年まで在籍。クラブ存続の危機に瀕したが、若手選手育成に力を注いで危機を脱した。2003年12月26日にホームスタジアムが再オープンすると、2008年のコパ・スダメリカーナでは準決勝に進出し、クラブのレジェンドであるクラウディオ・ボルギ監督の下でクラウスーラ2010を制した。