スーペルリーガ | 03/17 16:15 | 20 | [14] アルヘンティノス・ジュニオルス v ニューウェルズ [23] | W | 1-0 | |
スーペルリーガ | 03/12 00:30 | 19 | [5] CAインディペンデント v アルヘンティノス・ジュニオルス [13] | L | 2-1 | |
スーペルリーガ | 03/06 00:15 | 18 | [14] アルヘンティノス・ジュニオルス v ボカジュニアーズ [1] | W | 2-0 | |
スーペルリーガ | 02/26 22:00 | 17 | [2] CAタジェレス・デ・コルドバ v アルヘンティノス・ジュニオルス [14] | L | 2-0 | |
スーペルリーガ | 02/17 20:00 | 16 | [12] アルヘンティノス・ジュニオルス v アトレティコ・トゥクマン [11] | D | 2-2 | |
スーペルリーガ | 02/12 22:00 | 15 | [26] CAティグレ v アルヘンティノス・ジュニオルス [10] | L | 2-0 | |
スーペルリーガ | 02/02 22:00 | 14 | [8] アルヘンティノス・ジュニオルス v ディフェンサ・イ・フスティシア [15] | W | 2-1 | |
スーペルリーガ | 01/28 20:00 | 13 | [13] アルヘンティノス・ジュニオルス v サン・マルティン・デ・サンフアン [8] | W | 2-0 | |
アルゼンチン トルネオ・デ・ベラノ | 01/13 21:00 | 1 | サンロレンソ v アルヘンティノス・ジュニオルス | L | 2-1 | |
スーペルリーガ | 12/09 20:00 | 12 | [14] バンフィエルド v アルヘンティノス・ジュニオルス [17] | W | 2-3 | |
スーペルリーガ | 12/02 20:00 | 11 | [15] アルヘンティノス・ジュニオルス v テンパリー [25] | D | 2-2 | |
スーペルリーガ | 11/25 22:15 | 10 | [5] サンロレンソ v アルヘンティノス・ジュニオルス [14] | L | 1-0 | |
スーペルリーガ | 11/17 20:00 | 9 | [9] アルヘンティノス・ジュニオルス v コロン [6] | L | 0-1 | |
スーペルリーガ | 11/05 17:05 | 8 | [20] エストゥディアンテスLP v アルヘンティノス・ジュニオルス [9] | L | 1-0 | |
スーペルリーガ | 10/28 00:05 | 7 | [10] アルヘンティノス・ジュニオルス v アルセナル・デ・サランディ [24] | W | 3-2 | |
スーペルリーガ | 10/14 17:05 | 6 | [26] ロサリオセントラル v アルヘンティノス・ジュニオルス [12] | W | 1-3 | |
スーペルリーガ | 10/08 19:00 | 1 | [21] アルヘンティノス・ジュニオルス v チャカリタ・ジュニアーズ [27] | W | 1-0 | |
スーペルリーガ | 09/30 23:05 | 5 | [26] アルヘンティノス・ジュニオルス v ラシン・クラブ [15] | W | 2-0 | |
スーペルリーガ | 09/24 21:05 | 4 | [2] リーベルプレート v アルヘンティノス・ジュニオルス [27] | D | 1-1 | |
スーペルリーガ | 09/16 17:05 | 3 | [25] アルヘンティノス・ジュニオルス v ベオグラーノ [14] | L | 1-2 | |
スーペルリーガ | 09/09 21:05 | 2 | [26] パトロナート・デ・パラナ v アルヘンティノス・ジュニオルス [20] | L | 2-1 | |
アルゼンチン ナシオナルB | 07/30 18:35 | 46 | [2] チャカリタ・ジュニアーズ v アルヘンティノス・ジュニオルス [1] | D | 1-1 | |
アルゼンチン ナシオナルB | 07/23 18:00 | 45 | [1] アルヘンティノス・ジュニオルス v インスティトゥートACコルドバ [5] | W | 1-0 | |
アルゼンチンカップ | 07/19 22:00 | 6 | アルヘンティノス・ジュニオルス v インスティトゥートACコルドバ | L | 0-1 | |
アルゼンチン ナシオナルB | 07/12 18:35 | 43 | [5] ヌエボチカゴ v アルヘンティノス・ジュニオルス [1] | W | 1-2 | |
アルゼンチン ナシオナルB | 07/08 18:05 | 42 | [1] アルヘンティノス・ジュニオルス v ヒムナシア・デ・フフイ [17] | W | 1-0 | |
アルゼンチン ナシオナルB | 07/01 20:05 | 41 | [12] ロスアンデス v アルヘンティノス・ジュニオルス [1] | D | 1-1 | |
アルゼンチン ナシオナルB | 06/27 00:05 | 40 | [1] アルヘンティノス・ジュニオルス v フヴェントゥウニダ [19] | W | 4-0 | |
アルゼンチン ナシオナルB | 06/22 18:35 | 39 | [11] CSDフランドリア v アルヘンティノス・ジュニオルス [1] | W | 0-1 | |
アルゼンチン ナシオナルB | 06/17 23:45 | 38 | [1] アルヘンティノス・ジュニオルス v サンタマリーナ・タンディル [17] | W | 1-0 |
アソシアシオン・アトレティカ・アルヘンティノス・ジュニアーズ(スペイン語: Asociación Atlética Argentinos Juniors)は、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスのラ・パテルナル地区を本拠地とするサッカークラブである。
1970年代にディエゴ・マラドーナなどが、1980年代にクラウディオ・ボルギやフェルナンド・レドンドなどがアルヘンティノスからプロデビューし、やがてビッグクラブへと羽ばたいていった。また、フアン・ロマン・リケルメやエステバン・カンビアッソも、アルヘンティノスの下部組織でプレーした経験がある。1985年にはコパ・リベルタドーレスで優勝してインターコンチネンタルカップに出場した。
アルヘンティノスの起源は1886年まで遡る。アメリカに端を発する社会主義的着想によって、数千マイル離れたアルゼンチンにロス・マルティレス・デ・チカゴと呼ばれるクラブが設立された。その18年後、ロス・マルティレス・デ・チカゴはソル・デ・ビクトリアと合併してアソシアシオン・アトレティカ・イ・フトゥボリスティカ・アルヘンティノス・ウニードス・デ・ビジャ・クレスポが誕生したが、この長大なクラブ名はクラブエンブレム決定の際に問題となり、アソシアシオン・アトレティカ・アルヘンティノス・ジュニアーズ (Asociacion Atletica Argentinos Juniors) に短縮された。それまでの緑色と白色のユニフォームは、社会主義のシンボルカラーに起因する赤色と黒色のストライプに変更された。1921年にプリメーラ・ディビシオンに初昇格し、トップリーグで16シーズンプレー。しかし1930年代半ばにクラブ存続の危機に陥ると、スタジアムからの立ち退きを命じられ、クラブ会員はかろうじて100人を超える程度まで減少した。
1950年代に指揮を執ったフランシスコ・ファンディーノ監督が目指したスタイリッシュなパスサッカーは、El Tifón de Boyacá(ボジャカの台風)として知られた。アルヘンティノスは名声を手に入れ、ディエゴ・マラドーナなどの若手有望選手を惹きつけた。1976年には15歳のマラドーナがトップチームデビューし、1980年にはリーグ戦で準優勝。マラドーナは4シーズン連続でリーグ得点王に輝いたが、不思議なことに、アルヘンティノスに黄金期が訪れたのは彼のボカ・ジュニアーズ移籍後であった。ロベルト・サポリティ監督に率いられたメトロポリターナ1984ではプロ化後初のリーグ優勝を飾り、クラウディオ・ボルギ、セルヒオ・バティスタ、ペドロ・パスクッリなどがマラドーナらとともに2年後の1986 FIFAワールドカップ優勝メンバーとなった。ホセ・ジュディカ監督が率いたナシオナル1985ではクラブ2度目のリーグ優勝を果たし、同年のコパ・リベルタドーレスでは決勝でアメリカ・デ・カリ(コロンビア)を破って初優勝した。インターコンチネンタルカップではミシェル・プラティニ擁するユヴェントスFC(イタリア)と対戦したが、PK戦の末に敗れて準優勝に終わった。
1988年11月20日のラシン・クラブ戦はPK戦にもつれ込んだが、このPK戦でのキッカーの人数は世界記録となった。両クラブ合わせて44人がPKを蹴り、アルヘンティノスが20-19でPK戦に勝利した。
1990年代には再び財政問題に直面し、1996年にはプリメーラB・ナシオナル(2部)降格。フアン・ロマン・リケルメやエステバン・カンビアッソなど若手有望株の売却を余儀なくされた。彼らはアルヘンティノスの下部組織でプレーしていたが、リケルメはボカ・ジュニアーズの下部組織に移った後にボカからデビューし、カンビアッソはレアル・マドリードと契約した後にローン先のCAインデペンディエンテからトップリーグデビューした。再びプリメーラ・ディビシオンに昇格するものの、2002年にもプリメーラB・ナシオナルに降格して2004年まで在籍。クラブ存続の危機に瀕したが、若手選手育成に力を注いで危機を脱した。2003年12月26日にホームスタジアムが再オープンすると、2008年のコパ・スダメリカーナでは準決勝に進出し、クラブのレジェンドであるクラウディオ・ボルギ監督の下でクラウスーラ2010を制した。