ルーマニア リーガI | 02' | 7 | [10] FCウニヴェルシタテア・クラヨーヴァ1948 vs クルジュ大学 [4] | - | 0-0 | |
ルーマニア リーガI | 05/06 15:00 | 8 | FC UTAアラド vs FCウニヴェルシタテア・クラヨーヴァ1948 | - | View | |
ルーマニア リーガI | 05/11 17:30 | 9 | FCウニヴェルシタテア・クラヨーヴァ1948 vs AFCヘルマンシュタット | - | View |
ルーマニア リーガI | 04/23 14:00 | 6 | [6] FCヴォルンタリ v FCウニヴェルシタテア・クラヨーヴァ1948 [10] | D | 0-0 | |
ルーマニア リーガI | 04/20 14:30 | 5 | [10] FCウニヴェルシタテア・クラヨーヴァ1948 v ディナモブカレスト [7] | D | 1-1 | |
ルーマニア リーガI | 04/14 10:30 | 4 | [10] FCボトシャニ v FCウニヴェルシタテア・クラヨーヴァ1948 [8] | L | 4-1 | |
ルーマニア リーガI | 04/08 14:30 | 3 | [7] CSMポリテフニカヤシ v FCウニヴェルシタテア・クラヨーヴァ1948 [8] | D | 0-0 | |
ルーマニアカップ | 04/03 15:00 | 3 | [1] FCウニヴェルシタテア・クラヨーヴァ1948 v FCヴォルンタリ [2] | L | 2-4 | |
ルーマニア リーガI | 03/31 11:00 | 2 | [8] FCウニヴェルシタテア・クラヨーヴァ1948 v オツェルル・ガラツィ [5] | L | 1-2 | |
ルーマニア リーガI | 03/18 18:30 | 1 | [10] ペトロルル・プロイェシュティ v FCウニヴェルシタテア・クラヨーヴァ1948 [13] | L | 1-0 | |
ルーマニア リーガI | 03/10 18:45 | 30 | [13] FCウニヴェルシタテア・クラヨーヴァ1948 v CSウニヴェルシタテア・クラヨーヴァ [4] | L | 1-2 | |
ルーマニア リーガI | 03/02 12:00 | 29 | [9] UTAアラド v FCウニヴェルシタテア・クラヨーヴァ1948 [13] | L | 3-2 | |
ルーマニア リーガI | 02/27 14:15 | 28 | [12] FCウニヴェルシタテア・クラヨーヴァ1948 v CSMポリテフニカヤシ [13] | D | 1-1 | |
ルーマニア リーガI | 02/23 15:00 | 27 | [7] AFCヘルマンシュタット v FCウニヴェルシタテア・クラヨーヴァ1948 [12] | L | 1-0 | |
ルーマニア リーガI | 02/17 19:30 | 26 | [12] FCウニヴェルシタテア・クラヨーヴァ1948 v CFRクルジュ [3] | L | 1-3 |
Total | Home | Away | |
---|---|---|---|
Matches played | 47 | 23 | 24 |
Wins | 13 | 9 | 4 |
Draws | 13 | 5 | 8 |
Losses | 21 | 9 | 12 |
Goals for | 59 | 40 | 19 |
Goals against | 68 | 38 | 30 |
Clean sheets | 14 | 6 | 8 |
Failed to score | 12 | 2 | 10 |
Uクラヨーヴァ1948(U Craiova 1948)は、ルーマニア・クラヨーヴァを本拠地とするサッカークラブチーム。リーガ1優勝4回、カップ戦優勝6回を誇る古豪。近年は育成を重視し、有望な若手を輩出している。
クラヨーヴァにおけるサッカーの歴史は、クラヨーヴァン・クラヨーヴァ (Craiovan Craiova)とロヴィネ・グリヴィタ・クラヨーヴァ (Rovine Grivita Craiova)が結成された1921年まで遡ることができる。
1940年に両クラブが合併し、FCクラヨーヴァが誕生。1942-43年シーズンにはリーガ1を制したが、第二次世界大戦の最中だったのでルーマニアサッカー連盟は公認しなかった。
1948年、遂に教員と学生の後押しでウニヴェルシタテア・クラヨーヴァが誕生した。
1982-83年シーズンは、クラブ史上最高の成績を収めた。コンスタンティン・オチェット(Constantin Oţet)とニコラエ・イヴァン(Nicolae Ivan)のもと、UEFAカップでルーマニアのクラブとしては初となる準決勝進出を果たした。前シーズンイタリアセリエA2位のフィオレンティーナ、フランスのジロンダン・ボルドー、西ドイツのカイザースラウテルンを下し、準決勝では、過去にUEFAチャンピオンズカップを2度制したポルトガルのベンフィカと対戦した。2戦とも引き分けに終わり、ベンフィカがアウェー戦で得点したため決勝進出を果たせなかった。
イリエ・バラチ、ロディオン・カマタルだけでなくシュテファネスク、クリシャン、ゲオルガウ、ルングといったUEFAカップ1982-83準決勝に出場した選手はクラヨーヴァ・マクシマ(Craiova Maxima)と呼ばれるようになった。
ソリン・カルトゥが監督に就任しルーマニア・カップを制した1991年以降、ディヴィジアAの中位クラスのクラブに成り下がり、かつてのパフォーマンスが見られなくなった。2004-05年シーズン終了後クラブ史上初となる2部降格を味わったものの、1年で1部復帰を果たした。
2011年7月、ルーマニアサッカー連盟はクラブの財政に問題があるとして、一時資格停止処分としたが、2012年5月に追放され、2014年9月に正式に破産宣告を受け、クラブは一度消滅した。2017年にクラブは再結成され、4部リーグへ所属することとなった。