Date | R | Home v Away | - |
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01/04 19:00 | 5 | オビエド v アトレティコ・マドリード | 0-2 |
01/04 18:00 | 5 | リナレス・デポルティーヴォ v セビージャ | 0-5 |
01/04 18:00 | 5 | UDログローニョ v レアルソシエダ | 0-1 |
01/04 18:00 | 5 | ポンテベドラ v マヨルカ | 0-2 |
01/03 20:00 | 5 | カセレーニョ v レアルマドリード | 0-1 |
01/03 20:00 | 5 | スポルティング・ヒホン v ラージョ・バジェカーノ | 2-0 |
01/03 20:00 | 5 | レバンテ v ヘタフェ | 3-2 |
01/03 20:00 | 5 | ADセウタ v エルチェ | 1-0 |
01/03 18:00 | 5 | FCカルタヘナ v ビジャレアル | 1-5 |
01/03 18:00 | 5 | ラ・ヌシア v バレンシア | 0-3 |
01/03 18:00 | 5 | エスパニョール v セルタ | 3-1 |
12/22 20:00 | 8 | オビエド v グラナダ | 1-0 |
12/22 20:00 | 8 | ジムナスティック・タラゴナ v マラガ | 2-1 |
12/22 20:00 | 8 | ラ・ヌシア v ラスパルマス | 6-5 |
12/22 20:00 | 8 | CDアレンテイロ v アトレティコ・マドリード | 1-3 |
12/22 18:00 | 8 | カセレーニョ v ジローナ | 2-1 |
12/22 18:00 | 8 | ゲルニカ v セルタ | 0-3 |
12/22 18:00 | 8 | リナレス・デポルティーヴォ v ラシン・サンタンデール | 1-0 |
12/22 18:00 | 8 | エルデンセ v ブルゴス | 1-0 |
12/21 20:00 | 8 | アルネド v オサスナ | 1-3 |
12/21 20:00 | 8 | アレナス・クラブ・デ・ゲチョ v バリャドリード | 1-5 |
12/21 20:00 | 8 | UDログローニョ v アルバセテ・バロンピエ | 4-3 |
12/21 20:00 | 8 | ADセウタ v UDイビサ | 3-2 |
12/21 20:00 | 8 | ポンテベドラ v テネリフェ | 2-1 |
12/21 20:00 | 8 | フヴェントゥ・トレモリーノスCF v セビージャ | 0-3 |
12/21 20:00 | 8 | CDコリア v レアルソシエダ | 0-5 |
12/21 18:00 | 8 | アトレティコ・サグンティーノ v ラージョ・バジェカーノ | 1-3 |
12/21 18:00 | 8 | イビサ・イスラス・ピティウザス v エイバル | 1-0 |
12/21 18:00 | 8 | レバンテ v FCアンドラ | 2-1 |
12/21 18:00 | 8 | メリダ v CDアラベス | 0-1 |
コパ・デル・レイ(スペイン国王杯、西: Copa del Rey)は、スペインにおけるサッカーのカップ戦である。スペイン最古のサッカー大会であり、優勝クラブにはUEFAヨーロッパリーグの出場権が、決勝進出の2クラブにはスーペルコパ・デ・エスパーニャの出場権が与えられる。
正式名称は、カンペオナト・デ・エスパーニャ-コパ・デ・ス・マヘスタ・エル・レイ(西: Campeonato de España-Copa de Su Majestad el Rey、スペイン国王陛下杯)で愛称はラ・コパ(西: La Copa)。
1902年には前身となるコパ・デ・ラ・コロナシオン(西: Copa de la Coronación、即位杯)が行われ、アルフォンソ13世の即位記念行事に合わせて行われた。提唱者のカルロス・ペドロス(Carlos Padrós)はレアル・マドリード創設者の一人であり、後に同クラブ会長も務めた人物である。この大会には4クラブが参加した。この大会にはレアル・マドリード、FCバルセロナ、クルブ・エスパニョールFB(現RCDエスパニョール)、ニュー・フット=ボール・デ・マドリード、クルブ・ビスカヤ(アスレティック・クラブとビルバオFCの連合チーム)の5クラブが参加し、決勝ではクルブ・ビスカヤがFCバルセロナを破って優勝した。このトロフィーはアスレティック・ビルバオのミュージアムに展示されており、(まだコパ・デル・レイという名称ではなかったが)クラブ側は獲得タイトルのひとつに数えている。この大会はコパ・デル・レイの唯一の前身大会であるが、スペインサッカー連盟は公式には大会を認知していない。
コパ・デ・ラ・コロナシオンを引き継ぎ、1903年にはコパ・デル・レイ、正式名コパ・デ・ス・マヘスタッ・エル・レイ・アルフォンソ13(西: Copa de Su Majestad el Rey Alfonso XIII、アルフォンソ13世国王陛下杯)の第1回大会が行われた。スペインでサッカーの全国リーグ(リーガ・エスパニョーラ)が開始されるのは1928年のため、1903年から1927年まではコパ・デル・レイがスペイン最高峰のサッカー大会だった。この大会が創設された1902年から1909年までの決勝はマドリードのスタジアムで行われた。各地域の予選を勝ち抜いたクラブが本大会に出場した。年月を経る中で様々な大会形式が採用されており、グループリーグが採用されたこともあった。
創設当初、コパ・デル・レイはコパ・デル・アジュンタミエント・デ・マドリード(西: Copa del Ayuntamiento de Madrid、マドリード市杯)と呼ばれていたが、1905年から1932年にはコパ・デ・ス・マヘスタッ・エル・レイ・アルフォンソ13(西: Copa de Su Majestad El Rey Alfonso XIII、アルフォンソ13世国王陛下杯)と呼ばれた。第二共和政期にはコパ・デル・プレシデンテ・デ・ラ・レプブリカ(西: Copa del Presidente de la República、共和国大統領杯)もしくはコパ・デ・エスパーニャ(西: Copa de España、スペイン杯)と呼ばれた。フランコ独裁時代はトロフェオ・デル・ヘネラリッシモ(西: Trofeo del Generalísimo、総統トロフィー)およびコパ・デル・ヘネラリッシモ(西: Copa del Generalísimo、総統杯)もしくはコパ・デ・ス・エクセレンシア・エル・ヘネラリシモ(西: Copa de Su Excelencia El Generalísimo)と改称された。
1904年大会の決勝はアスレティック・ビルバオとエスパニョール・デ・マドリードが対戦する予定だったが、エスパニョール・デ・マドリードが試合開始時間に間に合わなかったため、試合は行われず、アスレティック・ビルバオの優勝が決定した。1910年と1913年の大会では、スペインサッカー連盟(西: Real Federación Española de Fútbol,RFEF)主催の大会(Copa FEF)とスペインサッカークラブ連合(西: Unión Española de Clubes de Fútbol,UECF)主催の大会(Copa UECF)が並存し、2つの優勝クラブが存在した。スペイン内戦中の1937年、共和国軍側に所在したクラブはコパ・デ・ラ・エスパーニャ・リブレに参加し、決勝ではレバンテUDがローカル・ライバルのバレンシアCFを1-0で破って優勝した。なお2007年、スペイン下院はスペインサッカー連盟に対して、レバンテをコパ・デル・レイの優勝クラブと認めるよう強く要望したが、連盟は結論を出さなかった。
王政復古後の1976-77シーズンからコパ・デル・レイの名称が復活した。2011-12シーズンのUEFAチャンピオンズリーグではスペインのクラブが決勝に進出する可能性があったため、スペインサッカー連盟はコパ・デル・レイの決勝をUEFAチャンピオンズリーグ決勝後に設定した。