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ポーランド エクストラクラサ | 05/19 13:00 | 33 | ワルタポズナン v レギアワルシャワ | - | View | |
ポーランド エクストラクラサ | 05/25 15:30 | 34 | レギアワルシャワ v ザグウェンビェ・ルビン | - | View |
レギア・ワルシャワ(ポーランド語: Legia Warszawa、ポーランド語発音: [ˈlɛɡʲa varˈʂava])は、ポーランド・ワルシャワを本拠地とするサッカークラブ。バスケットボール部門も有する。
クラブは第一次世界大戦最中の1916年4月、マニィェヴィチェ近郊に駐屯していた若い兵士達によって「ドルジナ・レギオノヴァ」(drużyna legionowa、軍隊のクラブの意味)として創設された。翌1917年にワルシャワへと本拠地を移転し、クラブ史上最初の試合はポロニア・ワルシャワとの間で行われた(試合は1-1の引分け)。同じワルシャワを本拠地とするポロニアとの一戦はワルシャワダービーと呼ばれている。
1920年3月14日にポーランドリーグへの参加が認められ、WKS(Wojskowy Klub Sportowy、ワルシャワのスポーツクラブの意味)と改称した。当時からクラブは軍人以外の民間人の会員を受け入れていたが、軍人が役員を占め、1997年に至るまで会長を務めた人物のうち12人は将軍だった。第一次大戦後の1921年にクラブは2部リーグへ参加。最初の試合はコロナ・ワルシャワとの間で行われ0-3で敗れた。
1927年5月8日にKSウッチを5-1で破り1部リーグ昇格を果たすと1930年にはユゼフ・ピウスツキの支援により新スタジアムへの移転も行われた。しかしタイトルには縁が無く、1936年に2部リーグへ降格、第二次世界大戦勃発の直前までリーグ戦は行われた。戦後、クラブには多くの優秀な選手達が集まるようになり、1955年には初のリーグ優勝を成し遂げた。また1949年にCWKS(Centralny Wojskowy Klub Sportowy、中央軍スポーツクラブ)と改称した。
クラブは1950年代から1960年代にかけて多くのタイトルを獲得する一方、ポーランド国内において必ずしも絶対的な地位を確立していたわけではないが、国際的にはポーランド代表に多くの選手を送り出しオリンピックでのメダル獲得に貢献した。また、ヤン・トマシェフスキ、カジミエシュ・デイナ、ロベルト・ガドハを擁し1969-70シーズンのUEFAチャンピオンズカップではベスト4に進出(オランダのフェイエノールトに敗退)。翌1970-71シーズンもベスト8に駒を進めた(スペインのアトレティコ・マドリードに敗退)。その後も1990-91シーズンのUEFAカップウィナーズカップでベスト4進出(イングランドのマンチェスター・ユナイテッドFCに敗退)、1995-96シーズンのUEFAチャンピオンズリーグでベスト8進出するなど国際舞台で強さを発揮していた。
1997年2月、クラブは農業機械を扱うポル=モット・ホールディングと韓国の大宇との合資会社となり、長年に渡る軍との関係に終止符を打った。2001年7月、業績不振により大宇が経営から撤退し、ポル=モットの所有となった後、2004年からはメディア企業のグルパITIの所有となり、スタジアム建設などの投資を行ったが、一方で2000万ズウォティの債務を抱えるようになった。2014年1月、弁護士のボグスワフ・レシノドルスキや投資家のダリウシュ・ミオドゥスキをはじめとしたグループに100パーセントの株式が買収され、クラブはレシノドルスキらの共同所有となった。