FCダチア・キシナウ(ルーマニア語: Fotbal Club Dacia Chișinău)は、モルドバのキシナウをホームタウンとしていたサッカークラブ。1999年創設。

History

2011年、2010-11シーズンのディヴィジア・ナツィオナラで2000-01シーズンから2009-10シーズンまで10連覇を達成していたFCシェリフ・ティラスポリを抑えて初優勝を果たした。

ダチア・キシニョフ(ルーマニア語: Dacia Chișinău)は、モルドバの首都キシニョフを本拠地とするサッカークラブ。2002年9月6日に設立された。モルドバ・ディヴィジア・ナツィオナラ(国内最上位リーグ)優勝5回を誇る。ホームスタジアムはスタディオヌル・ジンブル。

ダチアとは、古代ローマ帝国がヨーロッパ東部にあった属州の名称であり、ダキアはルーマニアの古称でもある。クラブ設立に先立つ2001年、キシニョフの高級地区にモルドバ屈指の企業家、アドリアン・ボボックが「ダチアホテル」を開業。ダチアホテルは、ボボックが個人的に保有するサッカークラブ、ACミリタリー・キシニョフの本拠地も兼ねることになった。しかし2002年、モルドバサッカー連盟会長パヴェル・チェバヌとの衝突により、ボボックはACミリタリー・キシニョフを解散。その後、モルドバサッカー連盟から破門処分を受けた。

ダチア・キシニョフの設立は、ボボックがモルドバサッカー連盟に対抗して、それまで国内屈指の勢力を誇っていたシェリフ・ティラスポリと並んで、新たなサッカークラブを設立したものである。ダチア・キシニョフもシェリフ同様、ボボックのビジネス帝国の一翼を担うと共に、モルドバにおけるサッカーの普及と、モルドバ人選手の育成を目的として設立された。ダチア・キシニョフは、モルドバ・ディヴィジア・ナツィオナラに参戦して数年でリーグ優勝を果たし、シェリフに代わってモルドバを代表するクラブとして台頭した。

ダチア・キシニョフは、2002-03シーズン、ディヴィジア・ナツィオナラの2部(ディヴィジアA)で優勝し1部(ナツィオナラ)昇格を決めた。2003-04シーズン、ナツィオナラでは7位に終わり、カップ戦では準決勝敗退に終わった。2004-05シーズン、ナツィオナラで初優勝し、カップ戦でも初優勝を果たした。2005-06シーズン、ナツィオナラで2連覇し、カップ戦で2連覇を達成した。2006-07シーズン、ナツィオナラで3連覇し、カップ戦でも3連覇を達成した。

ダチア・キシニョフは、モルドバサッカー連盟との関係が良好で、モルドバサッカー連盟会長パヴェル・チェバヌは、ダチア・キシニョフの成功を歓迎している。ダチア・キシニョフは、国内リーグ戦を制することで、欧州の舞台で戦うことができるようになり、モルドバサッカーのレベル向上のために貢献している。ダチア・キシニョフは、モルドバにおけるサッカーの普及と、モルドバ人選手の育成を目的として設立されたクラブであり、その目的を達成しつつある。