ルーマニア リーガI | 09/29 18:00 | 9 | CFRクルジュ v クルジュ大学 | W | 1-0 | |
ルーマニア リーガI | 09/20 15:30 | 8 | オツェルル・ガラツィ v CFRクルジュ | W | 0-1 | |
ルーマニア リーガI | 09/13 18:00 | 7 | CFRクルジュ v アストラジュルジュ | W | 4-1 | |
ルーマニア リーガI | 08/31 18:00 | 6 | ペトロルル・プロイェシュティ v CFRクルジュ | W | 1-2 | |
ルーマニア リーガI | 08/25 18:00 | 5 | CFRクルジュ v ガズ・メタン・メディアス | W | 4-1 | |
ルーマニア リーガI | 08/18 18:00 | 4 | FCヴィトルル・コンスタンタ v CFRクルジュ | W | 0-2 | |
ルーマニア リーガI | 08/10 18:00 | 3 | CFRクルジュ v FCSB | L | 0-1 | |
UEFAヨーロッパリーグ予選 | 08/07 17:30 | 16 | CFRクルジュ v ディナモミンスク | L | 0-2 | |
ルーマニア リーガI | 08/03 18:00 | 2 | パンドゥリー・トゥルグ・ジウ v CFRクルジュ | D | 0-0 | |
UEFAヨーロッパリーグ予選 | 07/31 17:00 | 16 | ディナモミンスク v CFRクルジュ | L | 1-0 | |
ルーマニア リーガI | 07/27 16:00 | 1 | CFRクルジュ v FCチェアラゥル・ピアトラ・ネアムツ | W | 4-0 | |
UEFAヨーロッパリーグ予選 | 07/24 18:30 | 15 | Gfk Jagodina v CFRクルジュ | W | 0-1 | |
ルーマニアカップ | 07/20 15:00 | 4 | CSMポリテフニカヤシ v CFRクルジュ | L | 4-2 | |
UEFAヨーロッパリーグ予選 | 07/17 17:30 | 15 | CFRクルジュ v Gfk Jagodina | D | 0-0 | |
ワールドクラブ親善試合 | 07/10 15:00 | - | CFRクルジュ v ガズ・メタン・メディアス | W | 3-0 | |
ワールドクラブ親善試合 | 07/06 16:00 | - | ケチケメートTE v CFRクルジュ | D | 1-1 | |
ワールドクラブ親善試合 | 07/04 16:00 | - | ETO FCジェール v CFRクルジュ | W | 0-1 | |
ワールドクラブ親善試合 | 07/02 16:00 | - | プスカシュ・アカデミア v CFRクルジュ | W | 0-2 |
FC CFR1907クルジュ(ルーマニア語: Fotbal Club CFR 1907 Cluj、ルーマニア語発音: [t͡ʃefeˌre ˈkluʒ])は、ルーマニアのサッカークラブ。リーガ1所属。クラブ名のCFR(チェフレ)は、ルーマニアの国営鉄道の国営鉄道会社であるカイレ・フェラテ・ロムーネ(ルーマニア語: Căile Ferate Române)からとられている。ウニヴェルシタテア・クルジュはライバル。
1907年創設だが、2部・3部が定位置の弱小クラブであった。クルジュの躍進を支えたのが、2000年11月に就任したアールパード・パースカーニ(Árpád Pászkány)会長(1971年生まれ)である。パースカーニは下部組織でのプレー経験があり、医薬品販売・不動産等で蓄財し、クラブへの投資を行った。パースカーニは外国人枠が多い事を利用して南米などから外国人選手を積極的に獲得し、チームを強化した。
ルーマニアリーグは長年、FCディナモ・ブカレストとFCステアウア・ブカレスト、FCラピド・ブカレストなどブカレスト勢が覇権を争っていたが、クルジュは近年着実に力をつけ、2007-08シーズンにはヨアン・アンドネ監督の下で2冠を達成した。リーグ戦2位のFCステアウア・ブカレストとの勝ち点差はわずかに1だった。これはクルジュ初のリーグ制覇であり、ブカレスト勢以外の優勝は17年ぶりであった。カップ戦では他の優勝候補が準々決勝などで姿を消す中、決勝でFCウニレア・ウルジチェニを破って初優勝し、初のリーグとカップ戦の2冠を達成した。2008-09シーズン、UEFAチャンピオンズリーグに出場。グループリーグ第1節ではスタディオ・オリンピコでASローマに勝利し、第2節ではチェルシーに引き分けた。最終的には勝ち点4で6試合を終えた。また、ルーマニアカップ決勝でFCポリテフニカ・ティミショアラに3-0で快勝し、2連覇を果たした。リーグ戦では安定してUEFAヨーロッパリーグ出場圏内を保ち、4位でシーズンを終えた。
2009-10シーズン、シーズン途中に就任したアンドレア・マンドルリーニ監督の下で、二度目のリーグ制覇とカップ戦との2冠を達成した。2010年9月、成績不振のためソリン・クルツが新監督に任命されたものの2か月で解任。2011-12シーズンはジョルジュ・コスタを招聘し、戦力のポルトガル化を推進した。ジョルジュ・コスタの後を継いだヨアン・アンドネ監督のもと、3度目のリーグ制覇を果たした。