WASキャピタルズ

WASキャピタルズ

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NHL 685 NHL プレシーズン 44
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Wikipedia (ja)
NHL 05/13 23:30 189 [1] FLAパンサーズ v WASキャピタルズ [8] L 4-3
NHL 05/11 23:30 189 [8] WASキャピタルズ v FLAパンサーズ [1] L 3-5
NHL 05/09 23:00 189 [1] FLAパンサーズ v WASキャピタルズ [8] L 3-2
NHL 05/07 17:00 189 [1] FLAパンサーズ v WASキャピタルズ [8] W 1-6
NHL 05/05 23:30 189 [8] WASキャピタルズ v FLAパンサーズ [1] L 1-5
NHL 05/03 23:30 189 [8] WASキャピタルズ v FLAパンサーズ [1] W 4-2
NHL 04/29 23:00 - [8] WASキャピタルズ v NYレンジャーズ [4] L 2-3
NHL 04/28 23:00 - [8] WASキャピタルズ v NYアイランダーズ [9] L 1-5
NHL 04/26 23:00 - [9] NYアイランダーズ v WASキャピタルズ [8] L 4-1
NHL 04/24 23:00 - [2] TORメープルリーフ v WASキャピタルズ [8] L 4-3
NHL 04/23 02:30 - [8] WASキャピタルズ v ARZコヨーテ [8] W 2-0
NHL 04/21 02:00 - [12] WASキャピタルズ v VGSゴールデンナイツ [17] L 3-4
NHL 04/19 01:00 - [8] WASキャピタルズ v COLアバランチ [1] W 3-2
NHL 04/16 23:00 - [8] WASキャピタルズ v MONカナディアンズ [8] W 8-4
NHL 04/14 23:00 - [12] WASキャピタルズ v TORメープルリーフ [5] L 3-7
NHL 04/12 23:00 - [14] PHIフライヤーズ v WASキャピタルズ [8] W 2-9
NHL 04/10 17:30 - [3] BOSブルーインズ v WASキャピタルズ [8] W 2-4
NHL 04/09 19:00 - [8] WASキャピタルズ v PITペンギンズ [7] W 6-3
NHL 04/06 23:30 - [3] TBライトニング v WASキャピタルズ [8] W 3-4
NHL 04/03 23:00 - [2] MINワイルド v WASキャピタルズ [4] L 5-1
NHL 03/28 23:00 - [2] CARハリケーンズ v WASキャピタルズ [8] L 6-1
NHL 03/26 23:00 - [29] NJデビルズ v WASキャピタルズ [10] W 3-4
NHL 03/25 23:00 - [8] WASキャピタルズ v BUFセイバーズ [6] W 4-3
NHL 03/22 23:00 - [4] STL ブルース v WASキャピタルズ [8] L 5-2
NHL 03/20 21:00 - [5] DALスターズ v WASキャピタルズ [8] L 3-2
NHL 03/18 23:00 - [8] WASキャピタルズ v CARハリケーンズ [2] W 4-3
NHL 03/17 23:00 - [8] WASキャピタルズ v CLBブルージャケット [9] W 7-2
NHL 03/15 23:00 - [10] NYアイランダーズ v WASキャピタルズ [8] W 3-4
NHL 03/12 03:00 - [8] WASキャピタルズ v VANカナックス [5] W 4-3
NHL 03/10 01:00 - [8] WASキャピタルズ v EDMオイラーズ [4] L 3-4

ワシントン・キャピタルズWashington Capitals)は、アメリカ合衆国ワシントンD.C.を本拠としているナショナルホッケーリーグ(NHL)所属のプロアイスホッケーチームである。愛称は、キャップス (Caps) 。

History

ワシントン・キャピタルズは、1975 - 1976 シーズン からNHLに参戦したが、いきなり80試合67敗、おまけにロードゲームでは僅か1勝と不名誉なリーグ記録を作ってしまった。1970年代は不遇のシーズンを重ね、1983年にデニス・マルク(Dennis Maruk)、 マイク・ガートナー (Mike Gartner) 及びボビー・カーペンター (Bobby Carpenter) の爆発的なゴールラッシュで初めてプレーオフ進出を果した。しかし、結局この年のスタンレー・カップ覇者となるニューヨーク・アイランダースの前に第1ラウンドで姿を消した。 

このあとチームは14年連続でプレーオフに参加するが、結局毎年悲嘆をかこつことになる。1980年代のキャピタルズはレギュラーシーズンではそこそこの成績を収めるのであるが、「がっかりさせるやつら(choker)」との評判を拭い去ることはできなかった。 ガートナー 、カーペンター 、マイク・リドリー (Mike Ridley) 、デイブ・クリスチャン (Dave Christian) 、 ディーノ・シサレッリ(Dino Ciccarelli )、ロッド・ラングウェイ(Rod Langway)あるいはケヴィン・ハッチャー(Kevin Hatcher)といった綺羅星のごとき選手を取り揃えながら、当時はプレイオフでも第2ラウンドに進出したのは僅か1回だけ、1990年のウェールズ地区決勝でもボストン・ブルーインズに4連敗で軽くいなされてしまう。

1990年代半ばには、キャピタルズはスタンレー・カップへの出場機会をなんとしても得ようと、無駄と思えるあがきを行う。上り調子にあった右ウイングのピーター・ボンドラ(Peter Bondra) 、ディフェンスのセルゲイ・ゴンチャー(Sergei Gonchar) 、センターのジョー・ジュノー(Joe Juneau) (1994にブルーインズから移籍したときには、既に往年の力はなかった。)らはいたものの、チームの主力選手は既に盛りを過ぎたベテランばかりであった。1993年のプレーオフ対ニューヨーク・レンジャース戦では、チーム史上でも最悪の事態が起こる。デイル・ハンター(Dale Hunter)がシリーズ勝利を決める得点を上げた後で、ピエール・タージョン(Pierre Turgeon)に対し悪質な打撃を加えたとして21試合の出場停止処分となってしまうのであった。

しかし、キャピタルズは1998年についに "chorker" のイメージを払拭することをやってのけた。ボンドラが52ゴールを上げチームの牽引車となり、ベテランのジュノー、アダム・オーツ (Adam Oates) が十分にその持ち味を発揮、そしてゴーリーのオラフ・コルジグ(Olaf Kolzig)がセーブ率 .920 を上げ、ブルーインズ、オタワ・セネターズ、バッファロー・セイバーズ(第6戦で劇的な再延長ゴール)を連破、ついにチーム史上初のスタンレー・カップ決勝に辿り着いた。しかし、決勝では圧倒的なデトロイト・レッドウィングスの前になすすべなく、4連敗で敗退した。 

1999年には、前年度の強さを失い元の弱小チームに戻って、プレーオフに進出できず。その後も2年間はともに第1ラウンドでピッツバーグ・ペンギンズの前に敗退した。2001年の夏には、1990年代のNHLを代表するスター選手、ヤロミール・ヤーガー (Jaromir Jagr) を破産寸前の騒動が起こったペンギンズから獲得した。この新戦力にも拘らず2002年はプレーオフ進出を逃した。

2002年のオフシーズンにもキャピタルズは、フリーエージェントで評価の高かったロバート・ラング (Robert Lang) を獲得するなど登録選手の入れ替えを図る。2003年は、再びプレーオフ出場するが、第1ラウンドでタンパベイ・ライトニングに序盤2連勝と好スタートを切るが、その後に4連敗を喫しまたしても、ファンを失望させた。

2004年の前半、チームは経費節減のため高給選手の大量放出に踏み切る。 ヤロミール・ヤーガーはレンジャーズに、その後すぐにボンドラをオタワ・セネターズにトレードで放出する。また、ロバート・ラングはデトロイトに、ゴンチャーはボストンに移籍させた。なお、ロバート・ラングの放出については、シーズン中盤でのチーム得点王の移籍であり、NHL史上類を見ない出来事である。

2004年のNHLドラフトでは、全体1位指名権を獲得し、ロシアの天才アレクサンドル・オベチキン(Alexander Ovechkin)を選択した。2004-2005シーズンは2004年から2005年のNHLロックアウトでNHLの全試合が中止となったため、オベチキンは母国ロシアで、同僚の若きスター、アレクサンダー・セミン(Alexander Semin)(2004年に19歳でキャピタルズ加入)とプレーしていた。またコルズィグ 、ブレンダン・ウィット(Brendan Witt)、ジェフ・ハルパーン(Jeff Halpern)ら他の選手も、ヨーロッパでプレーをした。

2005年もチームは不振を極める。1998年のファイナル進出時のメンバー二人のうちの一人、ウィトがトレード志願でナッシュビル・プレデターズにトレードされるなどチームは低迷し続けたが、オヴェチキンが期待を裏切らずに新人王を獲得した。 2006年にはキャプテンだったハルパーンまで抜けた上、オベチキンが昨年ほどの成績を残せなかった。

2007-08シーズンを控えキャピタルズはチームロゴ、ユニフォームのデザインを過去のものをリファインしたものに変更した。 DFのトム・ポティ、FWのマイケル・ニーランダーなどを獲得し、オベチキンが自身最高となる65ゴール112得点、彼のラインメート、トレード期限間際で獲得したクリストバル・ヒュエ (Christobal Huet)の活躍もあり、チームは実に5年ぶりにプレーオフ出場を果たした。

2008-09シーズンはオヴェチキンが50ゴールを連続で達成しただけでなく、ディフェンスマンのマイク・グリーンが30ゴールを突破(ディフェンスマンで30ゴールを突破するのはまさに偉業である)。地区1位の活躍で、プレーオフ出場を決めたが、2回戦でシドニー・クロスビーらペンギンスとの「夢の対決」に敗れ去った。また、コルジグが移籍したため、1998年ファイナル進出時のメンバーは誰一人としていなくなった。

2009年12月、キャプテンのクリス・クラーク(Chris Clark)がトレードされ、オベチキンがついにキャプテンに任命された。この年は圧倒的な強さを見せ、会長賞 (President's trophy) を獲得したが、プレーオフではモントリオール・カナディアンズにまさかの1回戦敗退を喫した。翌2010-11年は、守備面を強化。一時は8連敗など不振に沈み、オベチキンはキャリアワーストの1年を過ごしてしまったが、またしても東カンファレンス1位の座を射止めた。

2017-18シーズンではプレーオフ決勝でタンパベイ・ライトニングに4勝3敗で2度目のカンファレンス王者となる。スタンレーカップファイナルではベガス・ゴールデンナイツを4勝1敗で破り、初のスタンレー・カップ優勝を果たした。