コパ・リベルタドーレス予選 02/11 21:30 14 セロポルテーニョ v デポルティーボ・タチラ D 2-2
パラグアイ ディビジョン・プロフェッショナル 02/08 23:10 2 セロポルテーニョ v デポルティーボ・サンタニ D 2-2
コパ・リベルタドーレス予選 02/05 02:15 14 デポルティーボ・タチラ v セロポルテーニョ L 2-1
パラグアイ ディビジョン・プロフェッショナル 01/31 21:00 1 クラブリベルタ v セロポルテーニョ W 1-2
パラグアイ ディビジョン・プロフェッショナル 12/06 22:30 22 ソル・デ・アメリカ v セロポルテーニョ W 0-2
パラグアイ ディビジョン・プロフェッショナル 11/30 22:00 21 セロポルテーニョ v クラブナシオナル W 1-0
パラグアイ ディビジョン・プロフェッショナル 11/24 21:00 20 スポルティボ・ルケーニョ v セロポルテーニョ L 1-0
パラグアイ ディビジョン・プロフェッショナル 11/20 22:00 16 グアラニ・アスンシオン v セロポルテーニョ W 3-4
パラグアイ ディビジョン・プロフェッショナル 11/16 23:15 19 セロポルテーニョ v ドセ・デ・オクトゥブレ W 4-2
パラグアイ ディビジョン・プロフェッショナル 11/12 21:00 18 3デフェブレロ v セロポルテーニョ W 0-5
パラグアイ ディビジョン・プロフェッショナル 11/09 20:30 17 セロポルテーニョ v オリンピア・アスンシオン D 1-1
コパ・スダメリカーナ 11/06 22:00 3 セロポルテーニョ v ボカジュニアーズ L 1-4
コパ・スダメリカーナ 10/31 00:30 3 ボカジュニアーズ v セロポルテーニョ L 1-0
パラグアイ ディビジョン・プロフェッショナル 10/26 20:30 15 セロポルテーニョ v ルビオニュー D 1-1
コパ・スダメリカーナ 10/22 00:15 4 ラヌース v セロポルテーニョ D 1-1
パラグアイ ディビジョン・プロフェッショナル 10/18 22:00 14 デポルティーボ・カピアータ v セロポルテーニョ D 1-1
コパ・スダメリカーナ 10/15 00:30 4 セロポルテーニョ v ラヌース W 2-1
パラグアイ ディビジョン・プロフェッショナル 10/11 22:15 13 セロポルテーニョ v クラブリベルタ D 2-2
パラグアイ ディビジョン・プロフェッショナル 10/08 22:00 7 セロポルテーニョ v 3デフェブレロ W 2-0
パラグアイ ディビジョン・プロフェッショナル 10/05 22:10 12 セロポルテーニョ v クラブ・ジェネラル・ディアス W 3-1
パラグアイ ディビジョン・プロフェッショナル 10/02 23:00 11 セロポルテーニョ v ソル・デ・アメリカ W 2-0
パラグアイ ディビジョン・プロフェッショナル 09/28 22:45 10 クラブナシオナル v セロポルテーニョ W 0-1
コパ・スダメリカーナ 09/24 00:15 8 セロポルテーニョ v インディペンディエンテ・デル・バジェ W 3-0
パラグアイ ディビジョン・プロフェッショナル 09/20 21:10 9 セロポルテーニョ v スポルティボ・ルケーニョ W 4-0
コパ・スダメリカーナ 09/16 22:00 8 インディペンディエンテ・デル・バジェ v セロポルテーニョ L 1-0
パラグアイ ディビジョン・プロフェッショナル 09/12 23:00 8 ドセ・デ・オクトゥブレ v セロポルテーニョ W 0-2
パラグアイ ディビジョン・プロフェッショナル 08/31 20:00 6 オリンピア・アスンシオン v セロポルテーニョ L 1-0
コパ・スダメリカーナ 08/27 01:00 7 セロポルテーニョ v レンティスタス L 0-1
パラグアイ ディビジョン・プロフェッショナル 08/23 22:30 5 セロポルテーニョ v グアラニ・アスンシオン L 1-4
コパ・スダメリカーナ 08/19 21:00 7 レンティスタス v セロポルテーニョ W 0-2

クルブ・セロ・ポルテーニョ(スペイン語: Club Cerro Porteño)は、パラグアイの首都アスンシオンのアバリオ・オブレーロ地区を本拠地とするサッカークラブである。

History

クラブ名称は1811年1月19日にブエノスアイレス軍(ポルテーニョス、「港の人」の意味)とパラグアイ軍の間で行なわれた「セロ・ポルテーニョの戦い」に由来している。まだスペインの植民地だったパラグアイ軍はスペイン本国政府に見放されたが、パラグアイ植民地政府によって戦闘が続けられ、ブエノスアイレス軍から大勝利を収めた。この戦闘はセロ・ムバエ(Cerro Mbaé、ムバエの丘)で行なわれ、パラグアイ軍の歴史のハイライトとなった。

1912年10月1日、スサーナ・ヌニェスと若者グループによって設立された。この時期のパラグアイはコロラド党とリベラル党というふたつの政党が激しく対立し、政府が不安定な緊張状態にあった。このため、設立者は両党の政党カラーをクラブカラーに使用することを決定し、パラグアイ人の団結と友好の象徴として、赤色(コロラド党)と青色(リベラル党)がユニフォームに用いられた。やがてシャツには白色も使用され、パラグアイ国旗の三色(赤・青・白)がそろった。1913年に初のリーグ優勝を飾ると、1918年の全国選手権プレーオフではナシオナルと対戦。残り20分の段階で0-2と劣勢だったが、その後4得点を挙げて4-2とし、ナシオナルを逆転して優勝した。この「ゴールの嵐」がシクロン(El Ciclón、ハリケーン)というクラブの愛称の由来である。

プリメーラ・ディビシオンでは29回優勝しているが、国際タイトルを獲得したことはない。コパ・リベルタドーレスでは1973年大会、1978年大会、1993年大会、1998年大会、1999年大会、2011年大会でベスト4となったが、つねに準決勝の壁に阻まれている。コパ・スダメリカーナでは2009年にベスト4となった。

2001年にはトップチーム以下、年齢別の全てのカテゴリで優勝するという快挙を成し遂げた。2008年5月にはオズワルド・アルディレスが監督に就任したが、成績が低迷して8月には解任され、ペドロ・トログリオが後任監督に就任した。2010年のFIFAワールドカップで「美人過ぎるサポーター」として話題になったラリッサ・リケルメはセロ・ポルテーニョのサポーターである。セロ・ポルテーニョのサポーターはセリスタと呼ばれる。

セロポルテーニョは、パラグアイの首都アスンシオンに本拠地を置くサッカークラブである。1912年8月13日に設立され、パラグアイ・プリメーラ・ディビシオンに所属している。

セロポルテーニョは、パラグアイで最も成功したクラブの一つであり、国内リーグを33回、国内カップ戦を10回制している。また、1990年にはコパ・リベルタドーレスで優勝し、1993年にはレコパ・スダメリカーナで優勝している。

セロポルテーニョは、その攻撃的なスタイルで知られており、多くのスター選手を輩出している。1930年代には、ホセ・ペリシモ・フィゲローラやアウレリオ・ゴンサレスなどの選手が活躍し、1950年代には、フーリオ・セザール・エスピノーサやルーベン・フォリアなどの選手が活躍した。1970年代には、セザール・サエズやフアン・バウティスタ・ゴメスなどの選手が活躍し、1980年代には、ホセ・ルイス・チラベルトやカルロス・ガマーラなどの選手が活躍した。

セロポルテーニョは、パラグアイを代表するクラブの一つであり、その試合は常に多くの観客を集めている。ホームスタジアムであるエスタディオ・デ・ラ・ヌエバ・オジャは、40,000人を収容できる。