スペイン リーガACB | 05/12 16:30 | 34 | [2] レアルマドリード v バスコニア [9] | L | 106-100 | |
スペイン リーガACB | 05/10 16:15 | 33 | [9] バスコニア v UCAMムルシア [4] | W | 94-79 | |
スペイン リーガACB | 05/05 15:00 | 32 | [9] バスコニア v ジローナ [14] | L | 92-96 | |
ユーロリーグ | 05/01 18:30 | 3 | [8] バスコニア v レアルマドリード [1] | L | 98-102 | |
スペイン リーガACB | 04/27 18:45 | 31 | [18] パレンシア v バスコニア [9] | W | 94-101 | |
ユーロリーグ | 04/25 19:00 | 3 | [1] レアルマドリード v バスコニア [8] | L | 101-90 | |
ユーロリーグ | 04/23 19:00 | 3 | [1] レアルマドリード v バスコニア [8] | L | 90-74 | |
スペイン リーガACB | 04/21 16:30 | 30 | [2] ユニカヤマラガ v バスコニア [9] | L | 95-91 | |
ユーロリーグ | 04/19 18:30 | 640 | [8] バスコニア v ヴィルトゥス・ボローニャ [10] | W | 89-77 | |
ユーロリーグ | 04/16 17:00 | 642 | [7] マッカビテルアビブ v バスコニア [8] | L | 113-85 | |
スペイン リーガACB | 04/14 10:30 | 29 | [9] バスコニア v ブレオガン [15] | W | 76-74 | |
ユーロリーグ | 04/12 18:30 | 34 | [10] ヴィルトゥス・ボローニャ v バスコニア [9] | W | 91-95 |
CDサスキ=バスコニアSAD(Club Deportivo Saski-Baskonia, S.A.D.)は、スペイン・バスク州アラバ県ビトリア=ガステイスに本拠地を置くプロバスケットボールチーム。バスク州の銀行であるラボラル・クチャがスポンサーであり、スポンサーネームはラボラル・クチャ・ビトリア(Laboral Kutxa Vitoria)。リーガACB(リーガ・エンデサ)に所属している。
2004-05シーズンからは4シーズン連続で、ユーロリーグのファイナル4に進出している。2004-05シーズンは決勝でイスラエルのマッカビ・テルアビブBCに敗れ、2005-06シーズンは準決勝でマッカビ・テルアビブに敗れ、2006-07シーズンは準決勝でギリシャのパナシナイコスBCに敗れ、2007-08シーズンは準決勝でロシアのPBC CSKAモスクワに敗れた。
サスキ・バスコニアでプレーした著名な選手には、ヴェリミル・ペラソヴォッチ、ホセ・カルデロン、アルヴィーダス・マツィヤウスカス、アンドレ・ノシオーニ、ファブリシオ・オベルト、パブロ・プリジオーニ、イゴール・ラコセビッチ、ルイス・スコラ、ゴラン・ドラギッチ、ティアゴ・スプリッター、ミーザ・テレトヴィッチ、コルトン・アイヴァーソン、トーマス・エウテルなどがいる。
1959年、CDバスコニアのバスケットボール部門としてチームが設立された。クラブは抜群のスカウティング力と抜け目のない経営力で知られる。1971年には初めてプリメーラ・ディビシオンでプレーし、1990年代にはスペインバスケットボール界の主役のひとつに成長した。1991年には現在のホームアリーナであるパベリョン・アラバを使用し始めた。1990年代には国際試合でもその名をとどろかせ、1994年と1995年にはFIBAサポルタ・カップで決勝に進出した。1996年にもサポルタ・カップで決勝に進出し、ギリシャのPAOK BCを破って優勝した。1995年のコパ・デル・レイでは、パブロ・ラソとヴェルミル・ペラソヴィッチがチームを牽引し、クラブ史上初の優勝を飾った。1997-1998シーズンにはリーガACBのレギュラーシーズンで1位となり、プレーオフでは初めて決勝に進出したが、バスケット・マンレサに敗れて準優勝だった。1999年にはコパ・デル・レイで2度目の優勝を飾った。2000年にはビトリア=ガステイス出身の政治家フェルナンド・ブエサがバスク地方分離独立主義組織バスク祖国と自由(ETA)の活動家によって殺害される事件が起こり、パベリョン・アラバはフェルナンド・ブエサ・アレナに改称された。
2000年に創設されたユーロリーグではすぐに成功をおさめた。エルマー・ベネット、サウリウス・ストムベルガス、ヴィクター・アレクサンダー、ファブリシオ・オベルト、若手のルイス・スコラなど層の厚いロースターを持ち、2000-2001シーズンのユーロリーグではファイナルに進出したが、イタリアのキンデル・ボローニャに敗れた。ロースターにデヤン・トマシェヴィッチとアンドレ・ノシオーニを加え、バスコニアは2001-2001シーズンにコパ・デル・レイで優勝し、さらにリーガACBで初優勝した。スコラとパブロ・プリジオーニが決定的な役割を果たし、2004年と2006年にはコパ・デル・レイでさらにふたつのトロフィーを加えた。ユーロリーグでも成功を継続し、2004-2005シーズンには初めてファイナル4に登場し、準決勝ではPBC CSKAモスクワを破ったが、決勝では前回大会王者のマッカビ・テルアビブBCに敗れた。国内に目を向けると、バスコニアは同シーズンに再びACBの決勝に進出し、レアル・マドリード・バロンセスト戦を2勝2敗で最終戦を迎えたが、残り1分37秒、69-61から劇的な逆転を許して69-70で敗れた。2005-2006シーズンには再びユーロリーグのファイナル4に進出したが、今度は準決勝でマッカビが立ちはだかった。さらに、再びリーガACBで決勝に進出したが、CBマラガにスイープされた。
2006-2007シーズンのバスコニアはユーロリーグのレギュラーシーズンで1位となり、トップ16チームによる決勝トーナメントに進出し、準々決勝ではギリシャのオリンピアコスBCをスイープした。2000年からに限れば、この試合でスコラがユーロリーグの歴代トップスコアラーとなっている。準決勝ではギリシャのパナシナイコスBCと対戦し、結局優勝するチームに敗れた。