アイルランド U19リーグ | 07/27 13:00 | - | コークシティU19 v リムリックFC | L | 6-0 | |
アイルランド U19リーグ | 07/14 13:00 | - | リムリックFC v ウェックスフォードFC U19 | D | 1-1 | |
アイルランド U19リーグ | 07/07 13:00 | - | リムリックFC v シャムロック・ローヴァーズU19 | D | 0-0 | |
アイルランド U19リーグ | 06/29 13:00 | - | シャムロック・ローヴァーズU19 v リムリックFC | L | 4-1 | |
アイルランド U19リーグ | 05/26 13:00 | - | リムリックFC v コーヴランブラーズU19 | D | 2-2 | |
アイルランド U19リーグ | 04/27 12:00 | - | ユニバーシティ・カレッジ・ダブリンU19 v リムリックFC | L | 1-0 | |
アイルランド U19リーグ | 09/29 12:00 | - | リムリックFC v ウォーターフォード・ユナイテッドU19 | L | 2-4 | |
アイルランドカップU19 | 08/07 18:00 | 1 | リムリックFC v ボヘミアンズ・ダブリンU19 | L | 1-4 | |
アイルランド U19リーグ | 07/29 13:00 | - | リムリックFC v ウェックスフォードFC U19 | W | 3-0 | |
アイルランド U19リーグ | 07/17 18:00 | - | ゴールウェイ・ユナイテッドU19 v リムリックFC | W | 1-2 | |
アイルランド U19リーグ | 05/27 13:00 | - | リムリックFC v コークシティU19 | L | 0-2 | |
アイルランド U19リーグ | 05/19 13:00 | - | ユニバーシティ・カレッジ・ダブリンU19 v リムリックFC | L | 1-0 |
Total | Home | Away | |
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Matches played | 1 | 1 | 1 |
Wins | 0 | 0 | 0 |
Draws | 0 | 1 | 0 |
Losses | 1 | 0 | 1 |
Goals for | 0 | 1 | 0 |
Goals against | 6 | 1 | 6 |
Clean sheets | 0 | 0 | 0 |
Failed to score | 1 | 0 | 1 |
リムリックFC(英語: Limerick Football Club)は、アイルランドのリムリックをホームタウンとしていたサッカークラブ。
リムリックFCは1937年に創設された。クラブカラーはリムリックを本拠地とするラグビーユニオンクラブのヤング・マンスターの影響で「琥珀色と黒」が提案されたが、最終的にカーディナルレッドが選ばれた。リーグから撤退したドルフィンFCの代わりに1937-38シーズンからリーグ・オブ・アイルランドに加盟した。
1937年8月22日、ダリーマウント・パークで行われたシティカップ1回戦でシニアデビューを飾り、シャムロック・ローヴァーズに1-0で勝利した。1937-38シーズンのリーグ戦は12チーム中10位に終わったが、マンスター・シニアカップでコーク・ユナイテッドに1-0で勝利し、優勝した。1941年、ウォーターフォードがリーグから撤退すると、リムリックはジャージを白と赤のストライプからウォーターフォードの青に変更した。
1953年11月1日、オリエル・パークで開催されたリーグ・オブ・アイルランドシールド決勝でダンドークに3-2で勝利し、クラブ初の全国タイトルを獲得した。1959-60シーズンは選手兼任のユアン・フェントン監督の下、リーグ・オブ・アイルランド初優勝を果たした。クラブ初の欧州カップ戦となったUEFAチャンピオンズカップ 1960-61はヤングボーイズと対戦した。
1970-71シーズンはFAIカップ決勝でドロヘダに3-0で勝利し、初優勝した。1975-76シーズンはリーグ・オブ・アイルランドカップ決勝でスライゴ・ローヴァーズに勝利し、初優勝した。1975年10月16日に開催された第1戦(4-0で勝利)では少なくとも100人のスライゴ・ローヴァーズのサポーター(フーリガン)が暴動を起こし、リムリックから4人、スライゴから3人の若者が逮捕された。1980年4月20日、リーグ・オブ・アイルランドで2回目の優勝を果たした。
1981-82シーズンはFAIカップ決勝でボヘミアンに1-0で勝利し、2回目の優勝を果たした。リムリックで22年間プレーし、この試合が引退試合となったケヴィン・フィッツパトリックが決勝ゴールを決めた。1983-84シーズンにはシニアチームの所有権をめぐる法廷闘争があり、リムリックのサッカーは8週間停止した。当時リムリック・ユナイテッドの名前で知られていたチームを引き継いだパット・グレース会長はリムリック・シティに改称したが、マイケル・ウェブが率いるグループはチーム名の存続およびマーケッツ・フィールドをホームスタジアムとして使用し続けることを求めた。裁判の結果、リムリック・シティへの改称およびシーズン終了まではマーケッツ・フィールドを使用することが決定した。1989年9月にパット・グレース会長が退任し、1992年にチーム名はリムリックFC、クラブカラーも青に戻った。
1992-93シーズンはリーグ・オブ・アイルランドカップ決勝でSt.パトリックス・アスレティックに勝利し、2回目の優勝を果たした。しかし、次の1993-94シーズンにファーストディビジョンへ降格し、そこで長い期間を過ごすことになった。
2001-02シーズンはリーグ・オブ・アイルランドカップで3回目の優勝を果たした。2006-07シーズンに欧州サッカー連盟による新しいルールが導入されたことにより、リムリックは2007シーズンのライセンスを取得できなかった。シニアサッカーを継続するために新しい委員会が設立され、リムリック37のチーム名でライセンスを取得した。名前はリムリックがシニアサッカーに参入した1937年に由来する。2008シーズンを5位で終えた後、リムリックFCに改称した。