日本女子サッカーリーグ(にほんじょしサッカーリーグ、頭字語:JWFL)は、日本の女子サッカーリーグ。公益社団法人日本サッカー協会 (JFA) と、一般社団法人日本女子サッカーリーグが主催する。
1部および2部リーグの愛称はなでしこリーグ。
1960年代から70年代にかけて日本ではサッカー競技を行う女性が少しずつ見られはじめ、やがて全国各地でチームが結成されるようになると、地域ごとの小規模なリーグによる試合が展開された。
それにより1980年から全日本女子サッカー選手権大会が開催されるようになった。
1991年に行われるFIFA女子ワールドカップの新設と、1990年に行われる第11回アジア競技大会で女子サッカーが正式種目になることを受け、代表チームの強化を視野に入れた全国リーグ「日本女子サッカーリーグ」が1989年に創設された。当時の男子サッカー全国リーグの「日本サッカーリーグ」の略称「JSL」に倣って「JLSL」という略称もつけられた。
1991年の第3回大会からJLSLは10チームに拡大。つづく第4回(1992年)には下部リーグ「JLSLチャレンジリーグ」も設けられ、JLSLの最下位チームと入れ替え戦を行うようになった。
1994年には、前年にプロ化した男子リーグが「Jリーグ」という略称を制定して人気を博したことなどにより、9月8日に略称「L・リーグ」を発表。後期日程の始まる10月から使用された。つづいて9月28日にはL・リーグ公式テーマソング「WE ARE THE WINNERS」が発表され、翌年には各チームのイメージソングも続々と作られた。
このころにはほとんどのチームが専用のグラウンドを持ち、クラブハウスを持つチームも誕生。プロ契約選手も登場し、世界中からも多くの外国人選手の集まる「世界最高の女子リーグ」と呼ばれていた。
アトランタオリンピック(1996年)で日本女子代表が3戦全敗したことが影響し、観客が激減。さらにシドニーオリンピックへの出場権を逃したことや、バブル経済の崩壊から企業をバックにもつチームの相次ぐ解散や地域クラブ化、またプロ契約選手や外国人選手が次々と契約解除にあうなどがおこる。
1998年のシーズン中にフジタサッカークラブ・マーキュリー、日興證券ドリームレディースが続けて廃部を発表。リーグ終了後の理事会では翌シーズンから各チームに求めていた運営分担金を3分の1に減らし外国人選手(日本に帰化した選手は除く 2000年に再開されたが、当初は外国人の登録がなかった)を登録しないことなどを決め、規模を縮小して8チームで行うことを決めたが、1999年1月の全日本女子サッカー選手権大会終了後には鈴与清水FCラブリーレディースとシロキFCセレーナが相次いで脱退を表明。リーグ衰退の危機に直面することになった。
そのため1999年からはチャレンジマッチ(←チャレンジリーグ)を廃止し、浦和レイナスFCの新規参入と、試験的にではあるが大学リーグから日本体育大学女子サッカー部を受け入れを行いチーム数を揃えることとした。しかしその年のシーズン後、日本体育大学女子サッカー部は有力選手が卒業するなど毎年平均した戦力が整わない事によるレベルの違いなどを理由にわずか1年で撤退し、またOKI FC Windsの解散、プリマハム、松下電器のチームスポンサーから撤退によるクラブチーム化(伊賀フットボールクラブくノ一、スペランツァF.C.高槻)、そしてメインスポンサー(旭国際開発)撤退による宝塚バニーズレディースサッカークラブの市民チーム化があり、企業の撤退によるチーム基盤の弱体化からリーグ全体のレベル低下を招くこととなった。
2000年からL・リーグは、経費節減などを目的に東西の地域別に分けた「一次リーグ」と、その成績により上位リーグと下位リーグに分けた「決勝リーグ」を行い、試合観戦を無料とした。これは有料開催にすると会場により基本料金が無料開催の2ないし5倍と大幅に上がる上、その収益に応じて会場使用料をさらに追加することになるため、たとえ1000円という比較的安価な入場料ではあっても徴収するとかえって経費が掛かるということを鑑みた。
しかし「サッカーをすること」そして「日本女子代表になること」を目的とする選手を中心に構成された従来から所属の「セミプロクラブ」や「実業団チーム」と、「サッカーを楽しむ」ことを目的とする「市民クラブチーム」との対戦とが一次リーグでは生じ、レベルや意識の違いから対戦の際にさまざまな弊害が指摘された。また経費節減を優先するあまり、2003年度まではJリーグ・東京ヴェルディ1969の練習場である稲城市のヴェルディグラウンドなど、スタンドや得点表示のない会場での試合がいくつか見られた。
だが2003年に行われた第4回女子ワールドカップにより女子サッカーに対する関心が再び高まり、10月23日にはJリーグ・東京ヴェルディ1969対清水エスパルスの後座試合として、日テレ・ベレーザ対宝塚バニーズの試合がL・リーグとしては初めての国立霞ヶ丘競技場陸上競技場において開催されるなど、少しずつ人気回復への策が取られるようになっていった。
2004年からは上位と下位の各8チームずつの二部制に移行。L1の最下位とL2の1位チームが自動入れ替えとなった。ただしL2リーグについては2004年は6チーム、2005年は7チームの参加だった。
6月に開幕したこのシーズンは日本サッカー協会の掲げる「キャプテンズ・ミッション」に「女子サッカーの活性化」が盛り込まれたことなどにより、すべてスタンドのある会場で実施された。経費節減の関係から電光掲示板を使用しなかったり選手名の表示がなかったりではあったが、4月に行われたアテネオリンピック・アジア予選により女子サッカーに注目が集まったこともあって、以前に比べて多くの観客が訪れるようになった。とくにオリンピック中断前では最後の試合となる7月25日の日テレ・ベレーザ対TASAKIペルーレFC戦(稲城中央公園総合グラウンド)では女子サッカーでは異例の2500人もの観客を集めた。
オリンピック本戦では「なでしこジャパン」という愛称を与えられたサッカー日本女子代表がベスト8の成績を収めて女子サッカーへの注目が集まったため、9月には新たに「なでしこリーグ」という愛称が採用された。これは、これからの世界規模の大会でのなでしこジャパンの躍進をL・リーグから作ろうという趣旨が込められ、これはまた「なでしこ」を日本女子サッカーのブランドとすることによりリーグへの注目を高めるという狙いもあるといわれている。
この年のリーグ戦はさいたまレイナスFCが初優勝を飾った。
翌2005年は兵庫県神戸市を本拠地とするINACレオネッサが4月からL2に加盟。L1・L2ともに3回戦での総当たり(リーグ)戦を行った。リーグ開幕の直前には男子の富士ゼロックス・スーパーカップに相当するなでしこスーパーカップが新設され、L・リーグチャンピオンが全日本女子サッカー選手権大会の優勝チームと対戦。日テレ・ベレーザが浦和レッズレディースを破って初代女王となった。
また6月26日には日テレ・ベレーザ対浦和レッズレディース戦(ひたちなか市総合運動公園陸上競技場)が試験的に「有料試合」(小学生以上・前売り700円、当日800円)で行われ観客1095人が訪れた。
2006年、日本女子サッカーリーグはブライダル産業やレストランなどを展開するモック(moc)を協賛スポンサーに迎え、「mocなでしこリーグ」としてスタートすることになった。
また福岡県春日市を本拠地とする福岡女学院フットボールクラブのトップチームが福岡J・アンクラスとしてディビジョン2に加盟し、宝塚バニーズは本拠地を京都府に移して「バニーズ京都サッカークラブ」となった。
ディビジョン1の優勝チームにはモック(moc)のグループ会社であるアイプリモから1億円のティアラが贈呈されることとなり、なでしこリーグオールスターで初披露ののち、公募により「アイプリモ なでしこクイーンズ ティアラ」と名づけられ、日テレ・ベレーザが初代授与チームとなった。
2007年は序盤にTASAKIペルーレFCが無敗で独走しかけたが、後半にベレーザの追い上げにあい、勝ち点8差を逆転されてベレーザが3連覇を達成した。
2008年開幕前にモック(moc)のリーグスポンサー撤退が発表された。3年契約の予定を、スポンサーの都合により2年で撤退したことから「なでしこスーパーカップ」が中止になる等、一時的に「メインスポンサー無し」による影響がでたが、開幕直前に株式会社プレナス(plenus)と3年間のトップ・パートナー契約を結び、リーグ名称を「plenusなでしこリーグ」とすることになり、オールスターも開催が決定した。
また、鹿児島県鹿児島市を本拠地とする鹿児島鴨池フットボールクラブアサヒナがディビジョン2に準加盟し、全17チームで運営されることになった。
2009年はTASAKIペルーレFCの休部による退会とジュ ブリーレ 鹿児島(鹿児島鴨池フットボールクラブアサヒナ改め)の正式加盟により全16チームで運営されることになった。
浦和レッドダイヤモンズ・レディースが日テレ・ベレーザに勝ち点11の差をつけて移管後では初、さいたまレイナスFC時代を含めると2回目の優勝を遂げた。
リーグ戦終了後に行われた入れ替え戦で福岡J・アンクラスがスペランツァF.C.高槻を破り、2010年から再編される新たな「なでしこリーグ」に参加する10チームが決定した。
2010年、10チームからなる全国リーグの「プレナス なでしこリーグ」(1部リーグ)、東西各6チームからなる東日本・西日本地域の「プレナス チャレンジリーグ EAST/WEST」(2部リーグ)にリーグ再編された。またこれまで2部リーグは全ての参加チームの中で上位に入ったチームに1部の下位との入れ替え戦出場権を与えたが、2010年度からJリーグの方式に倣って「なでしこリーグ準加盟制度」を開始。なでしこリーグ(1部)昇格の権利はチャレンジリーグ(2部)所属の準加盟チーム限定となった。
また、2009年より大韓民国において女子サッカーリーグ「WKリーグ」が発足されたのに伴い、日韓リーグ優勝クラブによる対抗戦「日韓女子リーグチャンピオンシップ」が創設された。
サッカー日本女子代表が2011年のFIFA女子ワールドカップで優勝を果たすと、この影響はなでしこリーグにも影響を及ぼし、1万人を超える観客が詰め掛けた試合もあった。
大会後、三井住友カードとトヨタ自動車がオフィシャルスポンサーになった。このうちトヨタは全国の営業所の協力を得る。2012年からはコナミデジタルエンタテインメントおよび全国ファインスチール流通協議会(トタン板の流通に関する団体)、(株)ドール(バナナ販売・栽培)もオフィシャルスポンサー、またナックの家庭用ミネラルウオーター「クリクラ」がカップ戦協賛社となった。
2013年2月21日、国連難民高等弁務官事務所の日本の窓口、国連UNHCR協会とパートナーシップを締結したと発表した。
2014年、なでしこリーグの試合方式が変更され、10チーム2回総当たりの予選リーグ「レギュラーシーズン」と、レギュラーシーズンの成績を参考として上位6チームと下位4チームによる順位決定リーグ「エキサイティングシリーズ」の2本立てで行われ、年間優勝はエキサイティングシリーズ上位リーグの1位クラブに与えられる方式を採用。なでしこリーグカップが廃止となった。
2014年3月、日本女子サッカーリーグは2014年から3年間の計画でクラブ運営や選手のプレー環境向上を目指す構想を始めることにし、その一環として、現在の1部(なでしこリーグ):10・2部(チャレンジリーグ):16を見直して、2015年から、新1部:10・新2部:10・新3部(チャレンジリーグ):最大12に再編をする。
このうち1部リーグは、Jリーグクラブライセンス制度を参考に「サッカーに専念できる選手を最低3人以上保有する」「15歳以下のアカデミーチームを保有する」 などを義務付けるとしている。
また2部リーグについては、1部リーグの昇格を念頭に置いて参加するチームのみで構成するとともに、大学・高校などの強化目的で参加していたチームについては、原則としてチャレンジリーグ(3部)への参加とする。
2016年シーズンは3季ぶりになでしこリーグカップが復活した。
2017年2月、リーグの公式Twitterを開始。
2019年7月、日本サッカー協会の理事会において「なでしこジャパン」の強化などを目的として女子プロリーグ発足に向けた設立準備室を新設することになった。2020年東京オリンピック後の2021年スタートを目指している。新プロリーグは、「なでしこジャパン」の強化や女子サッカーの普及を担うだけでなく、女性の社会進出やスポーツ環境における男女平等の実現も理念としている。なお、なでしこリーグはアマチュアリーグとして存続させるという。
2020年6月3日、日本サッカー協会はオンライン記者発表会を開催し、2021年秋に開幕する日本初の女子プロサッカーリーグの名称「WEリーグ」(うぃーりーぐ、Women Empowerment League、WE LEAGUE)とロゴ(.WE LEAGUE)、リーグの理念、ビジョン、大会方式を発表した。
その後これを受け、2021年の日本女子サッカーリーグは、なでしこリーグ1部・2部の二部編成(1部12チーム、2部8チーム)とすることが2020年12月21日に発表された。