Date | R | Home v Away | - |
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04/23 17:00 | 29 | [18] サンタクララ v チャベス [11] | 1-1 |
04/23 14:30 | 29 | [14] ポルティモンセ v ジルヴィセンテ [13] | 1-0 |
04/22 19:30 | 29 | [17] パソス・デ・フェレイラ v FCポルト [3] | 0-2 |
04/22 17:00 | 29 | [12] ボアビスタ v リオアヴェ [11] | 3-2 |
04/22 14:30 | 29 | [7] ファマリカン v マリティモ [16] | 3-2 |
04/21 19:15 | 29 | [9] カサピア v ブラガ [3] | 0-1 |
04/17 19:15 | 28 | [9] ヴィゼラ v ボアビスタ [12] | 1-1 |
04/16 19:30 | 28 | [4] スポルティング v FCアロウカ [5] | 1-1 |
04/16 17:00 | 28 | [3] ブラガ v ジルヴィセンテ [13] | 1-0 |
04/16 14:30 | 28 | [11] リオアヴェ v カサピア [9] | 1-1 |
04/15 19:30 | 28 | [2] FCポルト v サンタクララ [18] | 2-1 |
04/15 17:00 | 28 | [12] チャベス v ベンフィカ [1] | 1-0 |
04/15 14:30 | 28 | [16] マリティモ v パソス・デ・フェレイラ [17] | 3-1 |
04/15 14:30 | 28 | [15] エストリル v ポルティモンセ [14] | 0-1 |
04/14 19:15 | 28 | [9] ファマリカン v ヴィトーリア・ギマランイス [6] | 2-1 |
04/10 19:15 | 27 | [13] ジルヴィセンテ v チャベス [12] | 0-0 |
04/09 17:00 | 27 | [8] カサピア v スポルティング [4] | 3-4 |
04/08 19:30 | 27 | [3] ブラガ v エストリル [15] | 4-1 |
04/08 17:00 | 27 | [14] ポルティモンセ v リオアヴェ [10] | 2-2 |
04/08 17:00 | 27 | [17] パソス・デ・フェレイラ v ファマリカン [9] | 1-3 |
04/08 14:30 | 27 | [5] FCアロウカ v マリティモ [16] | 1-0 |
04/07 19:30 | 27 | [13] ボアビスタ v ヴィトーリア・ギマランイス [5] | 2-1 |
04/07 17:00 | 27 | [1] ベンフィカ v FCポルト [2] | 1-2 |
04/07 14:30 | 27 | [18] サンタクララ v ヴィゼラ [8] | 0-1 |
04/05 19:15 | 25 | [13] ジルヴィセンテ v スポルティング [4] | 0-0 |
04/03 19:15 | 26 | [9] ファマリカン v FCアロウカ [6] | 0-1 |
04/02 19:30 | 26 | [3] FCポルト v ポルティモンセ [14] | 1-0 |
04/02 17:00 | 26 | [10] リオアヴェ v ベンフィカ [1] | 0-1 |
04/02 14:30 | 26 | [11] チャベス v ブラガ [3] | 1-2 |
04/02 14:30 | 26 | [17] マリティモ v ボアビスタ [12] | 4-2 |
プリメイラ・リーガ(ポルトガル語: Primeira Liga、ポルトガル語: [pɾiˈmɐjɾɐ ˈliɣɐ], 英語: Premier League)は、ポルトガルにおけるプロサッカーの最上位リーグである。スポンサーシップにより、リーガ・ポルトガル Betclic(Liga Portugal Betclic)の名称が用いられる。
ポルトガルには1930年代まで国内リーグがなく、カップ戦のタッサ・デ・ポルトガルが国内最大の大会だった。競技レベルの向上を目指して全国規模のリーグ戦創設が模索されるようになり、まずは1934-35シーズンより試験的なリーグ戦が実施され、1938年に公式な地位を与えられた「国内選手権1部 (Campeonato Nacional da Primeira Divisão)」が始まった。
1938年のポルトガルサッカーリーグ改革前、すでに総当たり方式による新機軸の大会、プリメイラ・リーガが開催されており、この大会の優勝クラブはリーグチャンピオンと呼ばれた。しかし、もっとも人気があったのはトーナメント方式によるカンペオナート・デ・ポルトガル(タッサ・デ・ポルトガルの前身)であり、この大会の優勝クラブがポルトガルチャンピオンと定義された。1938年にプリメイラ・リーガが改革され、総当たり方式による大会が1年でもっとも重要な大会として実施され、ポルトガルチャンピオンと定義されるようになった。この大会は1938年から1999年まで、「カンペオナート・ナシオナル・ダ・プリメイラ・ディヴィゾン」もしくは「プリメイラ・ディヴィゾン」という名称が使われた。
1999年には統括組織のリーガ・ポルトガル(LPFP)が全国リーグ(1部・2部)を管理下に置き、「カンペオナート・ナシオナル・ダ・プリメイラ・リーガ」もしくは「プリメイラ・リーガ」という名称に変更された。