広州城足球倶楽部(中国語: 广州城足球俱乐部)は、中華人民共和国の広東省広州市をホームタウンとしていたプロサッカークラブ。中国プロサッカーリーグ(中国超級)に加盟していた。

History

1986年

瀋陽足球倶楽部(沈阳足球俱乐部)として発足。

1994年

瀋陽東北六薬足球倶楽部(沈阳东北六药足球俱乐部)に改名。

1995年

瀋陽華陽足球倶楽部(沈阳华阳足球俱乐部)に改名。

1996年

瀋陽海獅足球倶楽部(沈阳海狮足球俱乐部)に改名。

2001年

瀋陽金徳足球倶楽部(沈阳金德足球俱乐部)に改名。ホームスタジアムの瀋陽五里河体育場も、正式には「瀋陽五里河金徳体育場」と命名される。

2004年

超級リーグ開始当初より参加。

2007年

湖南省長沙に移転。長沙金徳足球倶楽部に改名。

2010年

2010年度リーグで最下位となり、甲級リーグへ降格。

2011年

2月にアメリカのスポーツ製品会社がスポンサーとなり深圳鳳凰足球倶楽部(深圳凤凰足球俱乐部)に改名し深圳に移転したが、6月に広州の不動産会社がスポンサーとなり、広州富力足球倶楽部(广州富力足球俱乐部)と再び改名し広州に移転することになった。中国甲級リーグで2位となり超級リーグに昇格。

2014年

17勝6分7敗67得点39失点の勝点57で3位。AFCチャンピオンズリーグ2015のプレーオフの出場権を獲得した。

2015年

コスミン・コントラが監督に就任。

呉坪楓が引退。ダヴィが上海上港、許博が石家荘、朱宝傑が貴州人和へ移籍した。

北京国安から于洋、梅県客家から叶楚貴、杭州緑城から汪嵩、ヘタフェCFからミチェル、上海申鑫から劉殿座、大連阿爾濱から金洋洋を獲得。

AFCチャンピオンズリーグの本戦をかけて予選2回戦から広州富力は出場した。2月10日、AFCチャンピオンズリーグ2015の予選2回戦ホームでシンガポールのウォリアーズFCと戦い3-0で勝利した。2月17日にはAFCチャンピオンズリーグ2015のプレーオフラウンドで本戦出場をかけてアウェイでオーストラリアのセントラルコースト・マリナーズFCと戦い3-1で勝利し、初の本戦出場を果たした。

AFCチャンピオンズリーグ2015でACL初出場すると予選でG大阪、城南、ブリーラムのグループFに入った。7月15日川崎フロンターレのブラジル人FWレナトを獲得することで合意したことをクラブ公式HP上で発表した。

7月22日成績不振によりコスミン・コントラを解任、アシスタントコーチのリュー・ビンを暫定監督に充てる。8月24日にクラブより後任監督として元名古屋グランパスエイト監督、セルビア人のドラガン・ストイコビッチが就任する旨発表。契約期間は2017年シーズン終了まで。リュー・ビンはそのままアシスタントコーチとしてクラブに残留。またストイコビッチの要望で名古屋グランパスエイト所属、喜熨斗勝史コーチを8月25日付けでコーチとして招聘した。

2016年

ドラガン・ストイコビッチ体制で低迷していた広州富力を6位まで浮上させたが、50失点のため好成績とは言えずにシーズンは終了した。

2017年

2017年は守備に力を入れ、15勝7分8敗の成績であり、失点46得点56で安定した成績を残した。2年で低迷していたクラブを上位まで上げたため来シーズンも期待されていた。

2021年

2021年シーズンからクラブ名を「広州城足球倶楽部」(Guangzhou City Football Club)へ改名した。

2023年

経営難により中国超級リーグから除外され、3月29日に活動停止が発表された。

広州城足球倶楽部(中国語: 广州城足球俱乐部、英語: Guangzhou City F.C.)は、中華人民共和国広東省広州市をホームタウンとする、中国のプロサッカークラブである。現在は中国サッカー・スーパーリーグに所属している。

2006年、広州医薬足球隊など現存する3つのユースチームを合併して、広州製薬足球倶楽部が創設された。その後、2008年に広州恒大戦足球倶楽部と広州日の泉足球倶楽部が合併し、広州恒大足球倶楽部が誕生した。2021年7月、広州恒大足球倶楽部は広州城足球倶楽部に改称された。

広州城足球倶楽部のホームスタジアムは、天河体育中心体育場である。収容人数は58,500人。

広州城足球倶楽部の主な成績は、中国サッカー・スーパーリーグ優勝1回(2011年)、中国FAカップ優勝2回(2012年、2016年)、中国サッカー・スーパーカップ優勝2回(2012年、2017年)である。

広州城足球倶楽部の監督は、リー・ティホンである。

広州城足球倶楽部の注目選手は、厳鼎皓、李学鵬、艾克森である。