RFUチャンピオンシップ | 04/20 16:00 | 19 | ロンドン・スコティッシュ vs ノッティンガム | - | View | |
RFUチャンピオンシップ | 05/03 19:00 | 20 | コベントリー vs ロンドン・スコティッシュ | - | View | |
RFUチャンピオンシップ | 05/11 14:00 | 21 | ロンドン・スコティッシュ vs ベッドフォード・ブルーズ | - | View | |
RFUチャンピオンシップ | 05/25 16:00 | 22 | ロンドン・スコティッシュ vs コーニッシュ・パイレーツ | - | View |
RFUチャンピオンシップ | 04/13 14:00 | 18 | ケンブリッジ v ロンドン・スコティッシュ | W | 13-43 | |
RFUチャンピオンシップ | 04/05 18:45 | 17 | ロンドン・スコティッシュ v Hartpury University | W | 29-26 | |
RFUチャンピオンシップ | 03/23 15:00 | 16 | イーリング・トレイルファインダー v ロンドン・スコティッシュ | L | 52-35 | |
RFUチャンピオンシップ | 03/15 19:45 | 9 | ノッティンガム v ロンドン・スコティッシュ | L | 31-28 | |
RFUチャンピオンシップ | 03/09 13:00 | 15 | ロンドン・スコティッシュ v Doncaster Knights | L | 20-34 | |
RFUチャンピオンシップ | 03/02 14:00 | 14 | アンプトヒル v ロンドン・スコティッシュ | L | 35-12 | |
RFUチャンピオンシップ | 02/24 14:30 | 13 | ロンドン・スコティッシュ v カルディ | D | 33-33 | |
RFUチャンピオンシップ | 02/03 16:00 | 12 | ジャージー v ロンドン・スコティッシュ | - | CANC | |
RFUチャンピオンシップ | 01/26 19:45 | 11 | ベッドフォード・ブルーズ v ロンドン・スコティッシュ | L | 32-25 | |
RFUチャンピオンシップ | 01/20 15:00 | 10 | ロンドン・スコティッシュ v コベントリー | L | 38-40 | |
RFUチャンピオンシップ | 01/12 19:45 | 9 | ノッティンガム v ロンドン・スコティッシュ | - | PPT. | |
RFUチャンピオンシップ | 12/23 15:00 | 8 | ロンドン・スコティッシュ v ケンブリッジ | L | 26-28 |
ロンドン・スコッティッシュ・フットボールクラブ(英: London Scottish Football Club)は、イングランドのラグビーユニオンクラブである。RFUチャンピオンシップ(2部)に所属。
1878年初頭、セント・アンドリューズ・ローヴァーズFCと呼ばれるチームの3人のスコットランド人メンバーが、チームを脱退してスコットランド人のためのクラブを結成することを決断した。これらの男、George Grant、Neil Macglashan、Robert Arnotは彼らが送った回状に対して数多くの反響を受け取った。特にロンドン・スコティッシュ連隊はこの着想に非常に共感を寄せた。その後すぐ、1878年4月10日、ロンドン・スコティッシュFCが、ロンドン、Blackfriars、Water Laneにあるパブ、The Queen's Headで設立された。当初はBlackheath Common、後にサリーにあるリッチモンド・アスレティック・グラウンドでプレーした。
ロンドン・スコティッシュはホームカントリーからの「エグザイルズ(異郷流民)」によって設立された初のラグビークラブである。「開かれた」クラブとなったのは1996年のことで、その他のエグザイルズクラブであるロンドン・アイリッシュとロンドン・ウェルシュより遅く、最後だった。
ロンドン・スコティッシュは1974年にRFUクラブ競技会決勝に進出したが、前回チャンピオンのコヴェントリーに26対6で敗れた。
クラブはミドルセックスセブンズ大会の常連であり、1937年、1960年、1961年、1962年、1963年、1965年、1991年に優勝した。メルローズセブンズでは1962年、1965年、2019年の3回優勝している。
クラブは1996年にプロ化した。Tony Tiarksが1996年にクラブを50万ポンドで買収した。
1998年の夏、クラブはプレーオフを勝ち抜き最上位ディビジョンに昇格した。Tiarksはハーレクインズとロンドン・ブロンコズとのトゥープ・メモリアル・グラウンドの不幸をもたらした共用を断行した。
1998-99シーズンはクラブがプレミアシップ(イングランド1部)でプレーした唯一のシーズンとなった。チームは限られた資源にもかかわらず、14クラブ中12位でシーズンを終えて降格を免れた。
1998-99シーズンの途中で、Tiarksは幻滅し、クラブのプレミアシップでの立場を2部のブリストルへ売却することを検討した。Tiarksは1999年の夏に去った。プロクラブのロンドン・スコティッシュ・ラグビーは1999年に会社管理手続きに入り、こちらも管理手続きに入っていたリッチモンドと共に名目上ロンドン・アイリッシュに合併された。
元々のアマチュアクラブは、RFUによって9段階降格してイングランドの最下位ディビジョンに再加入した。クラブは10シーズンかけて7段階上のRFUチャンピオンシップ(2部)に昇格した(2011-12シーズン)。
2012-13シーズン中に、クラブはフルタイムのプロクラブへと転向した。これによって、クラブのセミプロ選手の多くが離れ、新しいコーチが招聘された。
ロンドン・スコティッシュはラグビーセブンズの大いなる主導者であり、これまでにメルローズセブンズ(3回)、ミドルセックスセブンズ(7回)、ロズリンパーク・ロンドンFloodlitセブンズ(7回)で優勝を果たした。