結果

NBA 04/14 19:30 - [23] UTAジャズ v GSウォリアーズ [16] L 116-123
NBA 04/13 02:30 - [23] UTAジャズ v LAクリッパーズ [5] W 110-109
NBA 04/12 01:00 - [19] HOUロケッツ v UTAジャズ [23] W 121-124
NBA 04/10 01:00 - [2] DENナゲッツ v UTAジャズ [23] L 111-95
NBA 04/08 00:30 - [23] UTAジャズ v GSウォリアーズ [18] L 110-118
NBA 04/06 02:30 - [23] UTAジャズ v LAクリッパーズ [5] L 102-131
NBA 04/03 01:00 - [8] CLEキャバリアーズ v UTAジャズ [22] L 129-113
NBA 04/01 01:00 - [22] UTAジャズ v SACキングス [13] L 106-127
NBA 03/30 01:30 - [19] HOUロケッツ v UTAジャズ [22] L 101-100
NBA 03/28 01:00 - [28] SAスパーズ v UTAジャズ [22] L 118-111
NBA 03/26 01:00 - [12] DALマーベリックス v UTAジャズ [22] L 115-105
NBA 03/24 00:00 - [12] UTAジャズ v HOUロケッツ [11] L 119-147

Wikipedia - ユタ・ジャズ

ユタ・ジャズUtah Jazz)は、アメリカ合衆国ユタ州ソルトレイクシティに本拠を置く全米プロバスケットボール協会 (NBA) のチーム。チーム名はジャズの都であるニューオーリンズに本拠地があった時に名づけられた。

History

初期

ジャズは1974年、ルイジアナ州ニューオーリンズで創設された。ピート・マラビッチ(ピストル・ピート)が加入してさえも、コートの中でも財政的にも成功とはいえなかった。5シーズン負け越した後、1979年ユタ州ソルトレイクシティに移転する。ソルトレイクシティには、ジャズの文化がなかったがチームの名称はジャズのままであった。ただし大きな湖、グレートソルトレイクを持つことからロサンゼルス・レイカーズ(ミネアポリス・レイカーズ:ミネソタ州には湖が多かった)とチーム名を交換しようかという話もあった。

1979-80シーズンを前にレイカーズからエイドリアン・ダントリーを獲得、その年マラビッチは放出された。1980年には、ドラフト全体2位でダレル・グリフィスを獲得。1980-81シーズンからフランク・レイデンがヘッドコーチとなる。そして1982年のドラフトで全体72位でマーク・イートンを指名した。彼ら4人の加入が将来へとつながる芽となった。1983年のドラフト全体7位でサール・ベイリーを獲得、彼らの活躍でチーム創設以来初めて勝ち越しプレイオフに進出した。その後20年連続プレイオフの常連となる。プレイオフでは2回戦まで進んで、フェニックス・サンズに敗れた。

ストックトン・マローンの時代

1984年にジョン・ストックトンを、そして1985年にカール・マローンを獲得した。ストックトンとマローンはピックアンドロールというプレイで大成功をおさめた。1988-89シーズンの途中、フランク・レイデンは辞任してジェリー・スローンがヘッドコーチに昇格した。スローンはチームを初めて50勝以上させて、51-31でシーズンを終えミッドウェスト・ディビジョン優勝を果たした。しかし、プレイオフでは1回戦でゴールデンステート・ウォリアーズに敗れた。 1990-91シーズン前に3チーム間のトレードでジェフ・マローンを獲得し、カンファレンス準決勝に進出したチームは翌シーズン、現在の本拠地デルタ・センター(現ビビント・スマート・ホーム・アリーナ)に移る。 1992年のプレイオフは、念願のカンファレンス決勝まで進出するが、ポートランド・トレイルブレイザーズに2-4で敗れた。カール・マローンとストックトンは、バルセロナオリンピックの初代「ドリームチーム」に選ばれ、1994年にはジェフ・マローンと交換でジェフ・ホーナセックを獲得したが、チームはなかなかNBAファイナルまで進出することができなかった。

1996-97シーズン、チームはフランチャイズ記録の64勝18敗をマークし、マローンはシーズンMVPを受賞した。ジャズはプレイオフを勝ち抜き、ついにNBAファイナルに進出。悲願の優勝に挑戦することになった。対戦相手となるシカゴ・ブルズは、この年5度目の優勝を狙っていた。

ジャズはシカゴで行われた第1戦をマイケル・ジョーダンのブザービーターで失い、続く2戦目にも敗れた。ホームのユタでは2連勝したものの、5戦目はジョーダンのパフォーマンスもあって2点差で落としてしまう。シカゴに戻った6戦目もジャズはものにできず、チームは優勝を逃してしまう。

翌1997-98シーズン、ジャズの成績は62勝20敗でブルズと同率1位。しかしレギュラーシーズン中両チームの対戦成績はジャズの2勝0敗で、プレイオフを通してジャズがホームコートアドバンテージを持つことになった。

ジャズはこのシーズンもNBAファイナルに進出し、再び優勝を狙うが、ジョーダンとブルズの前に悲願は果たせなかった。

ロックアウトで短縮された翌1998-99シーズン、マローンは2度目のMVPを獲得する。ジャズはサンアントニオ・スパーズと同率の37勝13敗でリーグ首位となった。しかしプレイオフではポートランド・トレイルブレイザーズに敗れ、優勝を逃してしまう。

1999-2000シーズン以降の3年間は、ロサンゼルス・レイカーズの時代となった。2000年にホーナセックは引退し、ジャズのファイナル進出はならず、既に30代後半になっていたマローンの個人成績も徐々に低下していった。 2003年にストックトンが引退すると、マローンは優勝できるチームを求めレイカーズに移籍した。

ウィリアムス・ブーザーの時代

2人の退団後は、2001年に入団したアンドレイ・キリレンコ、2004年にトレードで獲得したカルロス・ブーザーらがチームの中心選手となっているが、勝率は5割前後、2004-05シーズンには30勝を下回り、3シーズンに渡りプレイオフ出場を逃している。その大きな原因に、ストックトンに変わるPGが居ないことだった。2006-07シーズン、スローンHCは2年目のデロン・ウィリアムスをPGに起用した。これが大当たりし、ブーザーとウィリアムスの2人は新しい「ストックトン・マローン」とも言われるようになった。51勝31敗で、ディビジョン1位となり、プレーオフに進んだが、このシーズンで、チャンピオンとなったサンアントニオ・スパーズにカンファレンスファイナルで敗れている。ウィリアムスはアシストランキング3位でシーズンを終えた。しかし、その分キリレンコが活躍出来なくなり、不満をぶつけているため、問題点を残した。2007-08シーズンも好調は続きディビジョン1位を連続で獲得したが、プレーオフは2ndラウンドでロサンゼルス・レイカーズに敗れた。2008-09シーズンはプレーオフ常連となっていってはいたが、このシーズンは1stラウンドで敗退し、ピークを過ぎ後退している状況に入っていった。

ジェリー・スローンヘッドコーチの引退

2010-11シーズンは、カルロス・ブーザーがFAに伴い、シカゴ・ブルズに移籍し、代わってFAのラジャ・ベルを獲得、アル・ジェファーソンをミネソタ・ティンバーウルブズからトレードで獲得し、ゴードン・ヘイワードを2010年のNBAドラフトで9位指名で獲得し、メインプレーヤーが大きく変わった。更にジャズを長年に渡って指揮してきたジェリー・スローンヘッドコーチとデロン・ウィリアムスがハーフタイム中に口論するなど確執が強まり、監督が突然辞任した要因になったとも報じられ、チームは低迷期へと逆戻りしていった。2011年2月23日、ジャズがウィリアムスとの高額な契約を結ぶのは困難と判断し、ニュージャージー・ネッツにトレードで放出した(ジャズは引き換えにデビン・ハリス、デリック・フェイバーズの2人の選手と、2011年・2012年のドラフト1巡目指名権、さらに300万ドルを獲得した)。シーズン途中で、ヘッドコーチと主力選手が代わったことで、負け越し4年続いていたプレーオフも逃した。 2011-12シーズンは、タイロン・コービンのもと、生え抜き選手で、着実に成長を続けてきたポール・ミルサップとアル・ジェファーソンの安定感もあり、プレーオフに進むことができたが、1stラウンドでスパーズにスイープされシーズンを終えた。 2012-13シーズンは、勝ち越すことはできたが、競合の多いウェスタンで、プレーオフ最終スポットを求め終盤戦まで粘ったもののレイカーズに振り切られ、9位に終わった。 2013-14シーズンは、ポール・ミルサップ、アル・ジェファーソンのFAに伴い、大金を投じての引き止めは出来ず、主力2人を同時に失う中で、補強は、リチャード・ジェファーソン獲得などにとどまり、25勝57敗と大きく負け越し、シーズンを終えた。

ヘイワードの時代

ゴードン・ヘイワード

2014-15シーズンは、ヘッドコーチにクイン・スナイダーを招聘し、巻き返しを図った。結果的には38勝44敗で3年連続の負け越しが決まったものの、平均失点はリーグ1位の94.9点を記録。また、ゴードン・ヘイワードやデリック・フェイバーズらが中心選手に成長し、ルディ・ゴベアもスターターとして一本立ちしたことで、次期シーズンに期待を持たせる形となった。

2015-16シーズンは、リーグ屈指の守備力を武器に粘り強い戦いを繰り広げ、ダラス・マーベリックス、ヒューストン・ロケッツとプレーオフ出場枠争いを繰り広げたが、オールスターゲーム以降失速し、40勝42敗に終わり、2012年以来のプレーオフ出場はならなかった。

2016-17シーズンは、ジョージ・ヒル、ジョー・ジョンソン、ボリス・ディアウといったベテランを獲得し、ヘイワードやフェイバーズを開幕から負傷で欠くシーズンスタートとなったが、11月1日のAT&Tセンターでのサンアントニオ・スパーズ戦で106-91で勝利し、前シーズンにNBA新記録となるホームゲーム40勝 (1敗) を挙げたスパーズに、シーズン第2戦目で黒星を付けた。ヘイワードは自身初のNBAオールスターゲームに出場。以降もリーグ屈指の守備力で安定した戦いを繰り広げ、2012年以来のプレーオフ出場を決め、2008年以来のノースウェスト・ディビジョン優勝も決めた。更に4月10日のゴールデンステート・ウォリアーズ戦では、敵地オラクル・アリーナで105-99で勝利し、ウォリアーズにホームゲーム4敗目を付けた。5年振りの出場となったNBAプレーオフは、1stラウンドでロサンゼルス・クリッパーズを4勝3敗で下し、カンファレンスセミファイナルに進出。しかし、続くウォリアーズとの対戦は4戦全敗で終了した。

ミッチェル・ゴベアの時代 

2017-18シーズンは開幕前にチームのエースゴードン・ヘイワードがFAによりボストン・セルティックスへ移籍し、ヘイワードの穴を埋めるようにリッキー・ルビオやヨナス・イェレブコ、2017年のNBAドラフトではトレイ・ライルズとのトレードでドノバン・ミッチェルを獲得した。それでもヘイワードの抜けた穴は大きいだろうと予想されたが、結果的にはミッチェルが4度の月間最優秀新人賞に選出されるなど、1年目からエース級の活躍を見せた。チームは2018年1月中頃まで負けを重ねたが、2018年1月24日のデトロイト・ピストンズ戦から11連勝を記録するなど勝ちが先行しレギュラーシーズンは48勝34敗、カンファレンス5位でプレーオフ進出を決めた。プレーオフ1回戦ではオクラホマシティ・サンダーを4勝2敗で退けた。

2020-21シーズンは、レギュラーシーズン52勝20敗を記録しリーグ1位で通過。プレーオフ1回戦はメンフィス・グリズリーズと対戦しシリーズ4-1でカンファレンスセミファイナルに進出。セミファイナルではロサンゼルス・クリッパーズと対戦。1戦目と2戦目のホームで2連勝したが、3戦目以降から4連敗となりプレーオフ敗退となった。

2021-22シーズンをもってゴベアがミネソタ・ティンバーウルブズへ、ミッチェルがクリーブランド・キャバリアーズへトレードされミッチェル&ゴベアのデュオは解散となった。

UTAジャズ(英語: Utah Jazz)は、アメリカ合衆国ユタ州ソルトレイクシティを本拠地とするプロバスケットボールチームである。NBAのウェスタン・カンファレンス、ノースウェスト・ディビジョンに属している。

ジャズは1974年にルイジアナ州ニューオーリンズで、ニューオーリンズ・ジャズとして設立された。1979年にソルトレイクシティに移転し、現在の名称となった。ジャズは1984年から1998年まで、ジョン・ストックトンとカール・マローンのデュオを中心に、NBAファイナルに6回進出したが、いずれも優勝できなかった。2007年には、デロン・ウィリアムスとカルロス・ブーザーを擁して、再びNBAファイナルに進出したが、サンアントニオ・スパーズに敗れた。

ジャズは、ホームアリーナをビビント・スマート・ホーム・アリーナとしている。アリーナは、1991年に「デルタ・センター」としてオープンし、2006年に「エナジーソリューションズ・アリーナ」に改名された。2015年に、現在の名称に変更された。

ジャズのチームカラーは、パープル、ゴールド、ホワイトである。チームのロゴは、ジャズの音楽を象徴するト音記号が描かれている。ジャズのマスコットは、「ベアーズ」という名前のクマである。

ジャズは、NBAで最も成功したフランチャイズの一つである。チームは、3つのカンファレンス優勝と、29回のプレーオフ出場を果たしている。ジャズは、また、多くの偉大な選手を輩出しており、ジョン・ストックトン、カール・マローン、デロン・ウィリアムス、カルロス・ブーザー、ポール・ミルサップなどがいる。