結果

NHL 04/19 01:00 - [16] SJシャークス v CALフレームズ [24] W 1-5
NHL 04/17 02:00 - [24] CALフレームズ v VANカナックス [6] L 1-4
NHL 04/15 00:00 - [27] ARZコヨーテ v CALフレームズ [25] W 5-6
NHL 04/13 02:00 - [25] CALフレームズ v ANAダックス [30] W 6-3
NHL 04/12 02:30 - [25] CALフレームズ v LAキングス [7] L 1-4
NHL 04/10 02:30 - [25] CALフレームズ v SJシャークス [16] W 3-2
NHL 04/07 02:00 - [9] EDMオイラーズ v CALフレームズ [25] L 4-2
NHL 04/05 00:00 - [25] CALフレームズ v WINジェッツ [8] L 2-5
NHL 04/03 01:00 - [30] ANAダックス v CALフレームズ [25] L 5-3
NHL 03/31 02:00 - [8] LAキングス v CALフレームズ [12] W 2-4
NHL 03/29 00:00 - [24] CALフレームズ v STL ブルース [17] L 3-5
NHL 03/27 00:30 - [23] CALフレームズ v CHIブラックホークス [31] L 1-3

カルガリー・フレームス(Calgary Flames)は、カナダ、アルバータ州カルガリーを本拠としているナショナルホッケーリーグ(NHL)所属のプロアイスホッケーチームである。

History

1972年、NHLはニューヨーク・アイランダースと共にアトランタ・フレームスの参入を発表した。「フレームス」の名前は南北戦争中の1864年のアトランタ方面作戦によるアトランタ炎上に由来する。

黎明期

NHLが1972年からジョージア州アトランタにフランチャイズチーム(アトランタ・フレームス)を設立すると発表したとき、ホッケーファンの多数は、アメリカ合衆国南部にチームを作るなんて馬鹿げたことだと冷ややかな反応を示した。そしてこの反応はある意味で正解であった。フレームスは毎年リーグ最下位争いを演じ、アトランタに本拠地を置いた8期中プレイオフでは一度も勝利できなかった。

フランチャイズの移転

1980年になると、アトランタの経済低迷を背景にしてチームはカルガリー資本へと売却され、チーム名がカルガリー・フレームスとなる。アルバータ州におけるチーム初年度は、ケント・ニールソン (Kent Nilsson) の49ゴールの活躍などがあり、プレーオフでは1回戦でシカゴ・ブラックホークスを下し、2回戦ではフィラデルフィア・フライヤーズを第7試合で破り、準決勝でミネソタ・ノーススターズ (現ダラス・スターズ) に敗れた。

1986年までにフレームスは、ダグ・ライズボロー(Doug Riseborough)、ラニー・マクドナルド (Lanny McDonald)、ダン・クイン(英語版)(Dan Quinn)やゴーリーのマイク・バーノン(Mike Vernon)らを獲得。プレーオフ1回戦ではバンクーバー・カナックスを破り、2回戦でも第7戦でスティーブ・スミス (Steve Smith) の偶然のオウンゴールによりエドモントン・オイラーズに辛勝、またセントルイス・ブルースをも第7戦で下した。しかし、決勝では常勝モントリオール・カナディアンズには歯が立たず、1勝4敗で敗退した。

スタンレー・カップ初優勝

1989年についにフレームスは、決勝でカナディアンズを下しスタンレー・カップ初優勝をかざり、キャプテン、ラニー・マクドナルドの引退に花を添えた。この優勝は、カナディアンズの本拠地でビジターチームが優勝を決めた初の例となった。当時の主力メンバーは、セオレン・フルーリー、ジョー・ニューウェンダイク、ゲイリー・ロバーツ、アル・マキニス、マイク・バーノン。

低迷期

その後7年連続でプレーオフ進出を逃し、1989年当時の主力が次々に他のチームに移籍または引退していった。その間に後に主力となるジャローム・イギンラ(Jerome Iginla)をドラフトで獲得した。イギンラは2003年前後にキャプテンとなった。イギンラは、元ナッシュビル・プレデターズのトーマス・ヴォークーン(Tomas Vokoun)と喧嘩に近い状態になることが多かった。

復興期

2004年復活を果す。この年は、カナダのチームとしては初めてウェスタン・カンファレンス3地区の優勝チームを軒並み下し、スタンレー・カップ進出を成し遂げた。ノースウェスト・ディビジョンのバンクーバー・カナックスを第7試合で、セントラル・ディビジョンのデトロイト・レッドウイングス (この年レギュラーシーズン最高成績チームに与えられるプレジデント・トロフィーを受賞)を第6試合で、そしてウェスタン・カンファレンス決勝ではパシフィック・ディビジョンのサンノゼ・シャークスを第6試合で連破し、スタンレー・カップ決勝ではタンパベイ・ライトニングと対戦した。

1993年以来自国チームのカップ獲得から見放されてきたホッケー大国カナダの国民は、まさに「シンデレラ物語」を地でいくフレームスに対し熱狂的な声援を送ったとされる。在ワシントンD.C.のカナダ大使館は、メープルリーフの代わりにフレームスの旗を掲げ、またサンノゼ市民会館でも同様の光景が見られたと伝えられる(このシリーズでシャークスが敗れると、サンノゼ市長はこの市民会館を「世界中のフレームスファンの総本山である」と宣言した。)。フレームスはもともとは保守的とされたサンノゼ市に熱狂をもたらした。

スタンレー・カップ決勝では、フレームスのホームでの第6試合で疑惑のノーゴール判定があったこともあり、決勝は第7戦までもつれ込んだ。第6戦で再延長戦を制したタンパベイ・ライトニングは、第7戦第2ピリオドまでフレームスに僅か7ショットしか許さない奮闘を見せた。フレームスは後半怒涛の攻撃を見せるが、やや遅きに失し2004年6月7日1対2で勝利を逃した。

この快進撃は、2003-2004年度中に獲得したミカ・キプラソフ(Miikka Kiprusoff)の活躍抜きには語れない。彼はサンノゼ・シャークスで、控え選手にもなれないほどだったが、2003年度中にトレードで移籍。ここから怒涛の快進撃を見せ、とうとう守護神のロマン・タレック(Roman Turek)をNHL引退にまで追いやった。

2004-2005年は2004年から2005年のNHLロックアウトでシーズンがなくなったが、翌2005-2006年には最優秀ゴーリーに送られるヴェジーナ賞を獲得した。このキプラソフの活躍で、2003-2004年以降はフレームスは必ずプレーオフに出ている。ちなみに2003-2004年に、ホーム用ジャージーとビジター用ジャージーが入れ替わったため、フレームスは新しいジャージーを発表した(赤ベースのユニフォームに黒いCが燃えている)。