ポーランド エクストラクラサ | 04/28 10:30 | 30 | ラドミアックラドム vs ザグウェンビェ・ルビン | - | View | |
ポーランド エクストラクラサ | 05/05 15:30 | 31 | レギアワルシャワ vs ラドミアックラドム | - | View | |
ポーランド エクストラクラサ | 05/13 17:00 | 32 | ラドミアックラドム vs ルフホジューフ | - | View | |
ポーランド エクストラクラサ | 05/18 15:30 | 33 | シロンスク・ヴロツワフ vs ラドミアックラドム | - | View | |
ポーランド エクストラクラサ | 05/25 15:30 | 34 | ラドミアックラドム vs ヴィジェフ・ウッチ | - | View |
ポーランド エクストラクラサ | 04/19 16:00 | 29 | [16] コロナキエルツェ v ラドミアックラドム [10] | L | 4-0 | |
ポーランド エクストラクラサ | 04/14 10:30 | 28 | [18] LKSウッチ v ラドミアックラドム [10] | L | 3-2 | |
ポーランド エクストラクラサ | 04/05 18:30 | 27 | [11] ラドミアックラドム v ラコフ・チェンストホヴァ [3] | W | 2-1 | |
ポーランド エクストラクラサ | 04/01 10:30 | 26 | [16] プシュチャ・ニエポウォミツェ v ラドミアックラドム [11] | D | 1-1 | |
ポーランド エクストラクラサ | 03/16 14:00 | 25 | [11] ラドミアックラドム v ヤギエロニア・ビャウィストク [1] | L | 0-2 | |
ポーランド エクストラクラサ | 03/08 17:00 | 24 | [14] ピアスト・グリヴィツェ v ラドミアックラドム [11] | W | 2-3 | |
ポーランド エクストラクラサ | 03/04 18:00 | 23 | [14] ラドミアックラドム v スタル・ミェレツ [8] | W | 2-1 | |
ポーランド エクストラクラサ | 02/26 18:00 | 22 | [14] ワルタポズナン v ラドミアックラドム [13] | D | 0-0 | |
ポーランド エクストラクラサ | 02/16 17:00 | 21 | [12] ラドミアックラドム v ポゴンシュチェチン [5] | L | 0-4 | |
ポーランド エクストラクラサ | 02/10 14:00 | 20 | [13] クラコビアクラクフ v ラドミアックラドム [11] | L | 6-0 | |
ワールドクラブ親善試合 | 02/02 11:00 | - | ラドミアックラドム v モータールブリン | W | 2-1 | |
欧州親善試合 | 01/13 11:30 | - | ラドミアックラドム v ヴィジェフ・ウッチ | D | 2-2 |
Total | Home | Away | |
---|---|---|---|
Matches played | 41 | 22 | 19 |
Wins | 13 | 6 | 7 |
Draws | 9 | 6 | 3 |
Losses | 19 | 10 | 9 |
Goals for | 47 | 25 | 22 |
Goals against | 67 | 32 | 35 |
Clean sheets | 7 | 1 | 6 |
Failed to score | 16 | 8 | 8 |
ラドミアク・スプウカ・アクツィイナ(Radomiak Spółka Akcyjna (Radomiak S.A.)、通称ラドミアク・ラドム(Radomiak Radom)は、ポーランド中東部、マゾフシェ県の都市ラドムをホームタウンとする、ポーランドプロサッカーリーグ(エクストラクラサ)に加盟するプロサッカークラブ。愛称はグリーンズ(Greens)。
1910年、サイクリング、テニス、スケート、体操のセクションと共に、帝政当局から許可を得てラドムスポーツ協会が設立された。1年後、サッカーチームは最初の試合を行い、ワルシャワチームに5対2で敗北した。なおこの試合では、選手たちはそれぞれの個人の服を着用し、普通の靴を履いてプレーしていた。第一次世界大戦で活動を中断した後の1921年、スポーツ協会の構造が崩壊し、ラドムスキーコウォスポルトウェ(協会の活動継続者)とチャルニの2クラブに分かれた。
1924年、ワルシャワ地区のクラスBに昇格。1年後、トップクラスに昇格。1928年、ポーランドサッカー協会により創立された、ラドム、キエルツェ、チェストンホバ、ザグウェンビエを地域とする新たなサッカー地区で1932年、翌年1932年に地区2位の成績を残した。その後、1939年からの第二次世界大戦により、多くの有力選手やクラブに携わる人々が死亡した。
6年ぶりとなる戦後最初のゲームは、ブラックカウンシルに1対3で敗北した。1954年、クラスBに降格。これにより大幅に資金が削減されたこともあり、クラブは1960年代半ばに活動を休止。1945年に設立されたラドミアク・ラドムが伝統を引き継いだ。
1945年4月7日、「バタ」スポーツクラブが設立された。同年7月13日、ラドミアクスポーツクラブに名前が変更された。当時靴工場のマネージングディレクターを務めていたウウォジミェシュ・スキビンスキがクラブの名誉会長となった。彼がクラブ名、紋章、白、緑の色を決定した。
1967年、ラドムスポーツクラブとラドミアクスポーツクラブが合併し、ラドムスポーツクラブ「ラドミアク」が誕生した。1969年と1972年に第2リーグに昇格したが、どちらも1シーズンで降格となった。再度昇格した1976/1977シーズンでは5位、1982/1983シーズンは秋季ラウンドチャンピオン、春季は第2グループ3位となった。
1983/1984シーズンに、第2リーグ首位でシーズンを終え、第1リーグへの昇格を果たした。初の第1リーグ昇格であるこのシーズンは当時の会長リシャルト・アントニエヴィッチの積極的な補強の効果もあり、秋のラウンドの後では5位となったが、春から大幅に勝ち点を落とした結果、15位となり第2リーグ降格となった。
第2リーグに降格後の数年間は下降傾向を止めることができず、1989年には第3リーグに降格、さらに1991年には第4リーグに降格した。その後も昇格と降格を繰り返した。
2008年、協会は債務のために破産を宣告され、代わりに株式会社が設立された。チームは新しい第4リーグ(以前の第5リーグに相当)でプレーするライセンスを取得し、史上初めて第5リーグティアでの試合に参加した。2008/2009シーズンに1位でシーズンを終え直接第3リーグに昇格した。2年後、2010/2011シーズンに1位でシーズンを終え第2リーグに昇格した。その後第3リーグに降格することもあったが、2018/2019シーズンには第1リーグに昇格した。そして遂に2021/2022シーズンに第1リーグで1位となり、36年ぶりにエクストラクラサに昇格した。