クロアチア 1.NL | 04/21 12:50 | 27 | HNKチバリア vs オリイェント | - | View | |
クロアチア 1.NL | 04/27 15:00 | 28 | ビイェロブルド vs HNKチバリア | - | View | |
クロアチア 1.NL | 05/04 15:00 | 29 | HNKチバリア vs NKソリン | - | View | |
クロアチア 1.NL | 05/11 15:30 | 30 | NKドゥゴポリェ vs HNKチバリア | - | View | |
クロアチア 1.NL | 05/18 15:30 | 31 | HNKチバリア vs NKヤルン | - | View | |
クロアチア 1.NL | 05/24 16:30 | 32 | NKセスヴェテ vs HNKチバリア | - | View |
クロアチア 1.NL | 04/14 14:30 | 26 | [9] NKクロアチア・ズミヤフツィ v HNKチバリア [8] | L | 2-0 | |
クロアチア 1.NL | 04/06 14:30 | 25 | [7] NKドゥブラヴァ・ザグレブ v HNKチバリア [8] | W | 1-2 | |
クロアチア 1.NL | 03/29 12:45 | 24 | [8] HNKチバリア v NKズリンスキ・オシェツコ1664 [1] | L | 1-2 | |
クロアチア 1.NL | 03/24 15:00 | 23 | [2] HNKシベニク v HNKチバリア [8] | L | 1-0 | |
クロアチア 1.NL | 03/15 13:50 | 22 | [9] HNKチバリア v NKドゥゴポリェ [6] | W | 2-1 | |
クロアチア 1.NL | 03/08 13:50 | 21 | [4] NKセスヴェテ v HNKチバリア [9] | L | 4-0 | |
クロアチア 1.NL | 03/02 14:00 | 20 | [10] ビイェロブルド v HNKチバリア [9] | D | 2-2 | |
クロアチア 1.NL | 02/24 14:00 | 19 | [9] HNKチバリア v オリイェント [11] | W | 1-0 | |
クロアチア 1.NL | 02/17 11:50 | 18 | [1] NKズリンスキ・ジュルエヴァツ v HNKチバリア [9] | L | 2-0 | |
クロアチアカップ | 12/05 12:30 | 4 | HNKチバリア v HNKリエカ | L | 1-3 | |
クロアチア 1.NL | 12/02 11:30 | 17 | [8] HNKチバリア v HNKシベニク [2] | L | 1-3 | |
クロアチア 1.NL | 11/25 11:50 | 16 | [11] NKソリン v HNKチバリア [9] | W | 0-3 |
Total | Home | Away | |
---|---|---|---|
Matches played | 38 | 19 | 19 |
Wins | 12 | 9 | 3 |
Draws | 6 | 2 | 4 |
Losses | 20 | 8 | 12 |
Goals for | 46 | 29 | 17 |
Goals against | 62 | 24 | 38 |
Clean sheets | 7 | 5 | 2 |
Failed to score | 12 | 4 | 8 |
フルヴァツキ・ノゴメトニ・クルブ・ツィバリア・ヴィンコヴツィ(Hrvatski nogometni klub Cibalia Vinkovci)は、クロアチアのヴィンコヴツィをホームタウンとするサッカークラブである。
第一次世界大戦後、ヴィンコヴツィでサッカークラブ創設に関する議論が活発になり、1919年夏にグラジャンスキ・シュポルツキ・クルブ・ツィバリア・ヴィンコヴツィ (Građanski športski klub Cibalia Vinkovci) が創設された。クラブにはテニスや他のスポーツ部門も存在した。サッカー部門の最初の試合はŽŠKヴィンコヴツィ戦、最初の国際試合は1930年9月に行われたハンガリーのŠKペーチ戦であった。GŠKツィバリアはŽŠKと合併してジェリェズニチャルスキ・グラジャンスキ・シュポルツキ・クルブ・ツィバリアとなり、1920年に最初のタイトルを獲得した。
第二次世界大戦後、FDツィバリアとして活動を再開、OFDスパルタクと合併してFDグラニチャルとなり、1947年2月25日にスロゲと合併してFDディナモ・ヴィンコヴツィが誕生した。ディナモは1982年6月6日に15,000人の観客の前で行われたNKチェリク・ゼニツァ戦でユーゴスラビア・ドルガ・リーガ・西地域での優勝を決め、クラブの歴史で最大の成功であるユーゴスラビア・プルヴァ・リーガ昇格を果たした。プルヴァリーガには5シーズン所属した。
1990年10月5日にツィバリアの名前が復活した。ツィバリアはプルヴァHNLのオリジナルメンバーであり、1992年2月28日にスタディオン・マクシミールで6,000人の観客の前で行われたプルヴァHNL最初の歴史的な試合でHAŠKと対戦した。プルヴァHNLでのクラブ初得点はゴラン・メシュトロヴィッチ、初勝利は第6節のNKヴァルテクス・ヴァラジュディン戦で記録された。
1997年にドルガHNLに降格したが、1シーズンで復帰した。
1999年にフルヴァツキ・ノゴメトニ・クプで準優勝し、クラブ初の欧州カップ戦となるUEFAインタートトカップ 2000に出場した。
2003-04シーズンにUEFAインタートトカップ 2003で準決勝まで進出した。リーグ戦はドルガHNLに降格したが、2004-05シーズンは昇格プレーオフでNKノヴァリャに2試合合計スコア5-1で勝利してプルヴァHNLに昇格した。
2009-10シーズンは優勝したGNKディナモ・ザグレブと勝ち点差5の3位になり、UEFAヨーロッパリーグ 2010-11に出場した。
2013年にドルガHNLに降格した。2015-16シーズンは最終第33節でHNKシベニクと0-0で引き分けて優勝し、3年ぶりにプルヴァHNLに昇格した。
2016-17シーズンはプルヴァHNLで9位になり、ドルガHNLで2位のHNKゴリツァとの入れ替え戦に出場したが、2試合合計スコア5-1で勝利してプルヴァHNLに残留した。
2017-18シーズンはプルヴァHNLで最下位になりドルガHNLに降格したが、財政問題によりドルガHNLのライセンスを取得できず、3部リーグのトレチャHNLまで降格した。