スケジュール

イングランド プレミアリーグ 04/27 14:00 35 マンチェスター・ユナイテッド vs バーンリー - View
イングランド プレミアリーグ 05/06 19:00 36 クリスタルパレス vs マンチェスター・ユナイテッド - View
イングランド プレミアリーグ 05/12 15:30 37 マンチェスター・ユナイテッド vs アーセナル - View
イングランド プレミアリーグ 05/15 19:00 34 マンチェスター・ユナイテッド vs ニューカッスル - View
イングランド プレミアリーグ 05/19 15:00 38 ブライトン vs マンチェスター・ユナイテッド - View
イングランド FAカップ 05/25 14:00 1 マンチェスター・シティ vs マンチェスター・ユナイテッド - View

結果

イングランド プレミアリーグ 04/24 19:00 29 [7] マンチェスター・ユナイテッド v シェフィールド・ユナイテッド [20] W 4-2
2008北京オリンピック アジア予選 04/23 15:46 - チェルシー v マンチェスター・ユナイテッド L 3-2
イングランド FAカップ 04/21 14:30 2 コベントリー v マンチェスター・ユナイテッド W 5-7
イングランド プレミアリーグ 04/20 14:00 34 マンチェスター・ユナイテッド v ニューカッスル - PPT.
イングランド プレミアリーグ 04/13 16:30 33 [12] ボーンマス v マンチェスター・ユナイテッド [7] D 2-2
イングランド プレミアリーグ 04/07 14:30 32 [6] マンチェスター・ユナイテッド v リバプールFC [2] D 2-2
イングランド プレミアリーグ 04/04 19:15 31 [12] チェルシー v マンチェスター・ユナイテッド [6] L 4-3
イングランド プレミアリーグ 03/30 20:00 30 [15] ブレントフォード v マンチェスター・ユナイテッド [6] D 1-1
イングランド FAカップ 03/17 15:30 3 マンチェスター・ユナイテッド v リバプールFC W 4-3
イングランド プレミアリーグ 03/16 15:00 29 マンチェスター・ユナイテッド v シェフィールド・ユナイテッド - PPT.
イングランド プレミアリーグ 03/09 12:30 28 [6] マンチェスター・ユナイテッド v エバートン [16] W 2-0
イングランド プレミアリーグ 03/03 15:30 27 [2] マンチェスター・シティ v マンチェスター・ユナイテッド [6] L 3-1

Stats

 TotalHomeAway
Matches played 62 31 31
Wins 29 17 12
Draws 10 4 6
Losses 23 10 13
Goals for 99 50 49
Goals against 91 41 50
Clean sheets 18 10 8
Failed to score 12 5 7

マンチェスター・ユナイテッドFC(英語: Manchester United Football Clubイギリス英語発音: [ˈmænʧistə juːˈnaitid ˈfutˌbɔːl klʌb])は、イングランド・ マンチェスターをホームタウンとする、イングランドプロサッカーリーグ(プレミアリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。メインのクラブカラーは赤。

History

創立

1892-93シーズンのニュートン・ヒース(Newton Heath FC)

1878年、マンチェスターの鉄道員が中心となって、ニュートン・ヒース・ランカシャー&ヨークシャー・レイルウェイズFC(Newton Heath LYR FC)として創立。初め数年はほとんど公式試合はせず、チーム内のメンバー同士で試合を行う以外は専ら他の鉄道会社のチームと非公式に対戦していた。1882年から1883年の間に26試合の親善試合をした記録が残っている。1884年、地元のカップ戦であるランカシャーカップに出場するも、1回戦で昨年のFAカップ覇者のブラックバーン・オリンピックのリザーブチームに2-7で敗戦した。1885年にプロサッカークラブへと転向し、1892年にニュートン・ヒース(Newton Heath FC)と名称を変更し運営を行った。当時のオーナーの方針で観客から入場料を取らなかったことやグラウンド移転費用が嵩んだことなどの事情が影響し、1902年に一旦破産している。地元マンチェスターの醸造業主のジョン・ヘンリー・デイヴィスが500ポンドをクラブに投資してオーナーに就任し、クラブ再建に着手した。1902年にチーム名が変更され、マンチェスター・ユナイテッドとなったが、名称変更前の2日間だけはマンチェスター・セルティック (Manchester Celtic)という名称であった。

2日間だけではあるが、セルティックと名乗ったことでこのクラブがローマ・カトリック系であると思われることが多いが、ローマ・カトリック教会とは全くの無縁である。

創生期に2度のリーグ優勝後、1910年代から1950年頃までは低迷。第二次世界大戦時には空襲でオールド・トラッフォードが被災し、戦後も資金不足から修復できず、マンチェスター・シティの当時の本拠地メイン・ロードを拝借せざるをえなかった。

マット・バスビー時代の二度の栄光

マット・バスビーの銅像

1945年、マット・バスビーが監督に就任すると、クラブ最初の黄金期が訪れる。バスビーは、チーム選考や移籍市場、トレーニングセッション等を全て自身の管理下に置くというイングランドサッカーのマネージャー像の先駆けとなり、1946–47シーズンから3シーズン連続でリーグ2位と躍進し、1947–48のFAカップでは優勝を果たし、チームに36年ぶりのトロフィーをもたらした。そして、1951–52シーズンに41年ぶりとなる悲願のリーグ優勝を果たした。

バスビーは、その後のクラブの重要なアイデンティティとなる、下部組織の整備にも取り掛かった。バスビーの就任は、終戦直後の財政難の時期であたっため、彼は下部組織選手の育成に重きを置くことにより、長期的視野での戦力強化を行ったのである。バスビーが下部組織から見出したダンカン・エドワーズ、ボビー・チャールトンといった選手たちは「バスビー・ベイブス」(Busby Babes, バスビーの子どもたち)と呼ばれ、1956年からは国内リーグ2連覇を達成する快進撃を繰り広げた。

クラブが見事に復活を遂げたように見えた矢先の1958年2月6日、ミュンヘンの悲劇で主将のダンカン・エドワーズを含む選手8名とスタッフ3名が死亡。バスビーも重傷を負った。これによりイギリス(グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国)のクラブチームとして初のヨーロッパ大陸選手権大会での栄光は、スコットランドのセルティックに譲ることとなった。一時はフットボールへの情熱を失ったバスビーだったが、夫人らの説得もあり翌シーズンから現場に復帰。同じく事故のショックから立ち直ったボビー・チャールトンをチームの柱に据え、クラブの建て直しに着手した。

1960年代に入ると、2度めの黄金期が訪れる。デニス・ロー、ジョージ・ベストといった才能が次々に頭角を現し、1963年にFAカップ優勝、1965年と1967年には国内リーグも制した。そして1968年、チャンピオンズカップ決勝でSLベンフィカをチャールトンの2ゴールに、ベスト、キッドのゴールで4-1と破って優勝を果たし、ミュンヘンの悲劇で志半ばに潰えた悲願を達成した。同年、チャンピオンズカップ優勝の功績を称えられ、バスビーにナイトの称号が与えられた。

しかし、1970年代に入ると世代交代に失敗。1974年には2部落ち(翌年1部に復帰)の憂き目にも遭い、再び低迷期が始まった。1980年、前年にブラヴォー賞を受賞したギャリー・バートルズを大金で獲得したが、失敗に終わった。

アレックス・ファーガソン時代の栄光

アレックス・ファーガソン

低迷期を終わらせたのは、スコットランド人監督アレックス・ファーガソンである。1986年に就任した彼は若手の育成と、暴れ馬と呼ばれた選手たちの融合に見事成功し、常勝軍団の系譜をスタートさせた。

プレミアリーグの優勝回数は13回で最多で、旧フットボールリーグ・ファーストディビジョン時代を通じても、優勝20回は歴代1位である。FAカップで11回、カーリングカップで2回、UEFAチャンピオンズリーグで3回、UEFAカップウィナーズカップで1回のタイトルを勝ち獲っている。1990-91シーズン、UEFAカップウィナーズカップ決勝では、マーク・ヒューズの2得点でFCバルセロナを破り、1967-68シーズン以来の欧州カップ戦優勝を果たした。

1992-93シーズンの途中にエリック・カントナをリーズ・ユナイテッドFCから獲得した。このシーズンは1974-75シーズン以来となるリーグ優勝を果たした。翌シーズンはリーグを連覇しただけでなく、FAカップも獲得した。 1998-99シーズンは、クラブにとって特筆すべきシーズンである。ファーガソン監督の下、ユース時代から育て上げられたデビッド・ベッカム、ガリー・ネヴィル、ポール・スコールズ及びライアン・ギグスら、いわゆる「ファーギーズ・フレッジリングス(ファーガソンの雛鳥)」と呼ばれた選手達を中心に、UEFAチャンピオンズリーグ決勝でバイエルン・ミュンヘンを劇的な逆転で下し、ヨーロッパ覇者となった(カンプ・ノウの奇跡)。このシーズンは、リーグ優勝とFAカップ優勝を合わせたトレブル(3冠)を達成。ヨーロッパのサッカーシーンに「赤い悪魔」の名を轟かせた。

ヨーロッパのフットボール史において、UEFAチャンピオンズリーグ(旧UEFAチャンピオンズカップ)、国内リーグ、国内カップを制し、3冠を成し遂げたのは、1966-67シーズンのセルティック、1971-72シーズンのアヤックス、1987-88シーズンのPSV、2008-09シーズンと2014-15シーズンのバルセロナ、2009-10シーズンのインテル、2012-13シーズンと2019-20シーズンのバイエルン・ミュンヘンのみである。

1995年にイプスウィッチ・タウン戦でリーグレコードの9-0の大差で勝利。1999-20シーズン、2000-01シーズンとリーグ優勝し、クラブ史上初のリーグ3連覇を達成した。

ユナイテッドはファーガソン監督の下、高い実力と人気を兼ね備え、1990年代はアーセナルとともに2強と呼ばれた。2002-03シーズン以降はアーセナル(2003-04シーズンに無敗優勝)、チェルシー(2004-05、2005-06シーズンに2連覇)からの王座奪還を目標とした。2005年10月29日、ミドルスブラ戦でクリスティアーノ・ロナウドが決めたゴールが、クラブのプレミアリーグ通算1000ゴール目(リーグ最速)となった。

2006-07シーズンにこれまでリーグ2連覇をしていたチェルシーとの激闘を制し、2002-03シーズン以来となるリーグ優勝を達成。2007-08シーズンにUEFAチャンピオンズリーグ決勝でチェルシーと対戦し、延長戦の末PK戦を制し、9年ぶり3回目のUEFAチャンピオンズリーグ優勝を成し遂げた。2007-08シーズン、2008-09シーズン共にリーグ優勝し、2度目となるリーグ3連覇を達成した。

コンスタントにタイトルを獲得し続けたファーガソンは、再びUEFAチャンピオンズリーグ制覇することを目標に、自ら獲得してきた香川真司やロビン・ファン・ペルシを巧みに用いたが、最後の指揮となってしまった2012-13シーズン、クラブ20回目となるリーグ優勝を置き土産に、27年間務めた監督職を勇退した。

プレミアリーグ優勝時、ファーガソンの引退年2012-13シーズンの基本フォーメーション(スタメン出場数準拠)。

ファーガソン退任による迷走期への突入

2013年5月、ユナイテッドはファーガソンの後任に、エヴァートンを11年にわたり率いたファーガソンの同胞、デイヴィッド・モイーズが6年契約で就任すると発表した。夏の移籍市場でモイーズはエヴァートン時代の教え子であるマルアン・フェライニを獲得し、冬の移籍市場ではチェルシーからフアン・マタを獲得した。しかしスウォンジー・シティに史上初めてホームで敗戦を喫し、またプレミアリーグ以前も含めて史上初となるマージーサイドの2強(エヴァートンとリヴァプール)に揃って連敗するなど成績が低迷し、1994-95シーズン以来となるUEFAチャンピオンズリーグ出場権を逃した。結果として、モイーズは監督就任から1年持たず、2014年4月22日に解任が発表され、同シーズンの残り試合については、当シーズンからコーチ兼任だったライアン・ギグスが暫定監督に就任すると発表された。リーグ戦は7位で終了。25年ぶりにヨーロッパのカップ戦を逃すこととなった。

2014年5月18日、当時オランダ代表を率いていたルイ・ファン・ハールが、ワールドカップ後に3年契約で新監督に就任することが決定した。暫定監督を務めたギグスは選手を引退し、アシスタントコーチへの就任が決定。クラブは夏の移籍市場において、選手の補強費用に約260億円もの大金を投じた。ワールドカップブラジル大会で準優勝に輝いたアルゼンチン代表のマルコス・ロホやアンヘル・ディ・マリア、ファン・ハールのオランダ代表監督時代の教え子であるデイリー・ブリントのほか、アスレティック・ビルバオからアンデル・エレーラ、サウサンプトンからルーク・ショー、移籍期限ギリギリにASモナコからラダメル・ファルカオを獲得した。即戦力として期待されていたファルカオとディ・マリアが不調に陥ったものの、ルーニーやデ・ヘア、マタといった既存の戦力が機能し、リーグ戦は4位で終え、無冠ながら来季のUEFAチャンピオンズリーグプレーオフの出場権を獲得した。

2015-16シーズンはPSVから2014 FIFAワールドカップでオランダ代表の3位入りに貢献したファン・ハールの教え子でもあるメンフィス・デパイを始めとし、モナコからアントニー・マルシャル、バイエルン・ミュンヘンからバスティアン・シュヴァインシュタイガー、サウサンプトンからモルガン・シュネデルラン、サンプドリアからセルヒオ・ロメロ、トリノからマッテオ・ダルミアンを獲得するなど、前年に続いての大型補強を行った。しかしチャンピオンズリーグにおいては、ヴォルフスブルク、PSV、CSKAモスクワとのグループリーグで3位に終わり、グループステージ敗退となったほか、その後進んだヨーロッパリーグでもプレミアリーグの長年のライバルであるリヴァプールに2戦合計1-3で敗れ、ベスト16で姿を消した。2016年5月21日のFAカップ決勝でクリスタル・パレスを延長戦で破って12大会ぶり12度目のFAカップ優勝を飾ったものの、リーグ戦は5位に終わり、来季のUEFAチャンピオンズリーグ出場権を逃したことから、ファン・ハールは契約を1年残しての解任となった。

2016-17シーズンよりジョゼ・モウリーニョが新監督に就任。これまで2度チェルシーの監督を務め、3度のプレミアリーグ制覇を成し遂げた名将に名門マンチェスター・ユナイテッドの復活が期待された。夏の移籍市場ではズラタン・イブラヒモビッチ、ヘンリク・ムヒタリアン、エリック・バイリーや下部組織出身のポール・ポグバを獲得するなどの相変わらずの大型補強を実施し、リーグカップの決勝でサウサンプトンを下してモウリーニョ体制で初のタイトルを獲得した。リーグでは失点数がリーグ2位の29と堅守を披露し、クラブレコードとなるリーグ戦25試合連続無敗を記録したが、そのうち12試合で引き分けるなど勝ちきれない試合が続いて勝ち点が伸びず、最終的にヨーロッパのカップ戦出場圏外の6位に終わった。しかしUEFAヨーロッパリーグでは決勝まで勝ち進み、決勝でアヤックスに2-0で勝利して同大会初優勝をあげ、UEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得した。UEFAヨーロッパリーグの優勝によって、ユナイテッドはユヴェントス、アヤックス、バイエルン、チェルシーに次いでUEFA主催の主要3大会を制覇した5番目のクラブとなった。

モウリーニョ体制2年目の2017-18シーズンは、センターフォワードにエヴァートンからロメル・ルカク、ボランチにチェルシーからネマニャ・マティッチ、センターバックにSLベンフィカからビクトル・リンデロフと、昨シーズン問題のあったポジションに即戦力を獲得する補強を展開。これが功を奏し、前半戦終了時点で14勝3分2敗の勝ち点45と歴代優勝クラブに匹敵する好成績を叩き出すが、それを上回るペースで勝ち点を積んだ宿敵マンチェスター・シティの後塵を拝し2位で折り返す。冬の移籍市場でムヒタリアンとのトレードでアレクシス・サンチェスを獲得し追撃態勢を整えるが、シティの独走は止まらず、4月7日のマンチェスター・ダービーに3-2で逆転勝利して目の前での優勝決定を阻止するのが精一杯で、例年なら優勝もあり得た勝ち点81(25勝6分7敗)で、シティに歴代最多勝ち点差での優勝を許す2位に終わった。UEFAチャンピオンズリーグもベスト16でセビージャ相手に2戦合計1-2で不覚を取り、満足のいかないシーズンとなった。当シーズンをもって、13シーズンに渡ってユナイテッドで活躍したマイケル・キャリックが引退し、翌シーズンからコーチに就任した。

モウリーニョ体制3年目の2018-19シーズンは、アカデミー出身のGKサム・ジョンストンやブリントらを放出した一方で、サイドバックにポルトからディオゴ・ダロト、ミッドフィールダーにシャフタール・ドネツクからフレッジ、控えGKにリー・グラントを獲得。ところが、リーグ開始17試合の時点で昨季の28失点を上回り、特にリヴァプール、マンチェスター・シティ、トッテナム、チェルシー、アーセナルといった欧州カップ圏を争うBIG6間では3敗2分6得点13失点と後塵を拝することとなり、1-3で敗北した12月16日のリヴァプール戦をもってモウリーニョは解任となった。

ファーガソンの教え子の帰還

2018年12月19日、モウリーニョ解任後の暫定監督にOBのオーレ・グンナー・スールシャールが就任した。スールシャールは、就任後のサポーターからの好感や、6連勝スタートを含め就任から12試合連続リーグ戦無敗などの好成績もあって、2019年3月28日に3年契約で正式に監督就任を果たした。ところが、奇跡と言われたUEFAチャンピオンズリーグのPSG戦後の公式戦でわずか2勝しかできず、最終節を待たずして来季のUEFAチャンピオンズリーグ出場権を逃すことになった。この結果に全世界のファンが黙っているはずもなく、twitter上に「#UnfollowManUnited」というハッシュタグが登場した。オーナーであるグレイザー一族やCEOであるエド・ウッドワードに対する抗議の意であるが、Twitter公式アカウントのフォロワーが減るのと比例してニューヨーク証券取引所においても株価が一時下落した。

スールシャールにとって初めてのフルシーズンとなる2019-20シーズン、夏の移籍市場では、クリスタル・パレスから昨季ブレークしたアーロン・ワン=ビサカ、レスター・シティからDF史上最高額となる移籍金でハリー・マグワイアを獲得し、長年懸案だった守備陣の強化に成功したものの、MFは退団したアンデル・エレーラ、FWはインテルに移籍したロメル・ルカクの後釜の獲得に失敗し、費やした移籍金の高さも相まってウッドワードCEOは再び非難を浴びることになった。開幕戦こそチェルシーに4-0で圧勝したものの、そこからクリスタル・パレス、サウサンプトン、ウェストハムといった格下から勝ち点をとりこぼし続け、前半戦は8位で折り返した。冬の移籍市場でスポルティングCPからMFブルーノ・フェルナンデスを獲得すると、彼を起用した第25節から13戦負けなしと猛烈な追い上げを見せ、第37節にレスター・シティとチェルシーを捉えてCL出場圏内の3位に浮上した。最終節は5位レスターとの直接対決となり、負ければ5位転落の可能性もあったこの試合を2-0で制し、2年ぶりにCL出場権を獲得した。

2020-21シーズン、スールシャール体制も3シーズン目に突入。夏の移籍市場は、終盤まで新戦力がドニー・ファン・デ・ベークのみと補強が進まずファンも苛立ちを募らせたものの、最終日にエディンソン・カバーニ、アレックス・テレスの獲得が決まって補強を終えた。年が明けて2021年1月12日にはファーガソン最終年以来となる、8年ぶりの年明け首位に立った。ところが首位陥落後、欧州スーパーリーグ騒動において40億ユーロの資金支援を表明したJPモルガン・チェースにウッドワードCEOが勤務していた過去が関係していた為か、カントナらを筆頭にOBの批判を浴びた結果4月21日をもってウッドワードCEOの2021年限りでの退任、さらにファンと政府関係者からも批判を浴びたとしてスーパーリーグ撤退が発表された。CLではパリ・サンジェルマン、ライプツィヒと同組となり、3位でEL決勝トーナメントに回ることになった。ELでは順調に勝ち進んだが、決勝でビジャレアルに敗れ16-17シーズン以来の優勝はならなかった。

2021-22シーズンはジェイドン・サンチョとラファエル・ヴァランなどを獲得し、更に8月27日にはクリスティアーノ・ロナウドを再獲得するなど、積極的な動きを見せた。しかし第9節と第11節で宿敵のリヴァプールとマンチェスター・シティに5-0、2-0で完敗し、第12節の格下ワトフォード戦も1-4で敗れたことで11月21日、スールシャール監督は解任され、マイケル・キャリックがシーズン終了までの暫定的な監督を務めることが公式発表された。 11月29日、シーズン終了までの暫定的な監督としてラルフ・ラングニックの就任を発表した。また、2022-23シーズンから2シーズンの間、同氏はチームのコンサルタントとして就任することも発表された。12月3日、選手時代から含めて15年クラブに在籍したキャリックが暫定監督を退任しクラブを退団することを発表した。しかし、その後もリヴァプールに0-4、マンチェスターシティに1-4などの敗北を喫するなどして低迷し、36節のブライトン戦を0-4で落とすと、2節を残してCL出場権圏外の順位でシーズンを終える事が確定し、クラブの勝ち点、失点共にプレミアリーグ創設以来の最低記録を更新した。また、アレックス・ファーガソンが勇退して以来、2022年8月現在で、10億ポンド(日本円で1624億)を費やしている

2022-23シーズンよりエリック・テン・ハフが監督に就任した。また、ラングニックとのコンサルタント契約は白紙となった。契約満了により、フアン・マタ、エディンソン・カバーニ、ネマニャ・マティッチ、ジェシー・リンガード、ポール・ポグバが退団。夏の移籍市場でタイレル・マラシア、クリスティアン・エリクセン、リサンドロ・マルティネス、カゼミーロ、アントニーを獲得した。リーグ戦は開幕2連敗を喫するが第3節で宿敵リヴァプールに勝利し、第6節で開幕5連勝中のアーセナルに今シーズン初黒星を与えた。11月にロナウドが退団。冬の移籍市場ではボウト・ベグホルスト、マルセル・ザビッツァー、ジャック・バトランドを獲得。EFLカップの決勝でニューカッスル・ユナイテッドを2-0で破り、6シーズン振りのタイトルを獲得した。ELではグループリーグでレアル・ソシエダと同ポイントながら得失点差により2位でプレーオフに回ることになった。プレーオフでバルセロナ、ベスト16でレアル・ベティスに勝利したが、ベスト8でEL最多優勝を誇るセビージャに敗れた。リーグは3位でフィニッシュし、2シーズンぶりにCL権を獲得した。FAカップは決勝まで駒を進めマンチェスター・シティと相まみえた(決勝では初のマンチェスター・ダービー)が、マンチェスター・シティのイルカイ・ギュンドアンに2ゴールを喫し、1-2で敗れた。

2023-24シーズン、ジョーンズとデ・ヘアが契約満了で退団しこれでファーガソンの教え子全員がクラブから去ったと思われたがジョニー・エヴァンスが復帰した。


マンチェスター・ユナイテッドは、イングランドのマンチェスターを本拠地とするプロサッカークラブです。1878年にニュートン・ヒースという名前で設立され、1902年にマンチェスター・ユナイテッドに改名されました。イングランドサッカーの最高峰であるプレミアリーグに所属しています。

マンチェスター・ユナイテッドは、世界で最も成功したサッカークラブの一つであり、プレミアリーグ、FAカップ、リーグカップ、UEFAチャンピオンズリーグ、UEFAヨーロッパリーグ、インターコンチネンタルカップなどの主要なタイトルを数多く獲得しています。また、世界で最も人気のあるサッカークラブの一つでもあり、世界中に多くのファンを抱えています。

マンチェスター・ユナイテッドのホームスタジアムは、オールド・トラッフォードです。収容人数は74,140人で、イングランドで最大のサッカー専用スタジアムです。オールド・トラッフォードは、マンチェスター・ユナイテッドのファンから「シアター・オブ・ドリームス」と呼ばれており、世界で最も有名なサッカースタジアムの一つです。

マンチェスター・ユナイテッドは、多くの伝説的な選手を輩出しています。ボビー・チャールトン、ジョージ・ベスト、デニス・ロー、エリック・カントナ、デビッド・ベッカム、クリスティアーノ・ロナウドなど、世界で最も偉大な選手たちがマンチェスター・ユナイテッドでプレーしました。

マンチェスター・ユナイテッドは、イングランドサッカーの伝統と栄光を象徴するクラブです。世界中のサッカーファンから愛され、尊敬されるクラブであり、これからも多くのタイトルを獲得し、ファンに夢を与え続けるでしょう。